もくろみと余韻
於 #002 三つの課題
壇蜜の日記が届く。ごきげんよう、壇蜜です。
壇蜜ダイアリー、だってさ。
いままでのタイトルのほうが良かったのにな。
2018/1/11
余韻という言葉がある。どうにも悩ましい一面もあれば、名残惜しさに名前をつけたような豊かな感情の流れを感じることもある。繋いだ手の余韻を感じることは、どこか恋路を妄想してしまうが、飲み物の余韻を感じることは感受性が高いことを示しているのだなと羨ましくもなる。(後略)
ここまでで、一年分の「壇蜜」という言葉を使ったような、気がする。
わたしたちがどうしてこの目標を目指すのか、
閑話休題、ハイデガーの『存在と時間』に戻っている。
わたしたち。
ハイデガーはとっくに、わたしたちを巻き込んでいる。わたしたちは巻き込まれている。しかし、この本を閉じたらどうなるんだろう。わたしたちは、この本から切断されてしまうんだろうか。
こうしたもくろみに含まれていて、そのために必要となる探求はどのようなものか、さらにこの目標を実現するためのどのような道筋をたどろうとしているのかについて、(後略)
「後略」という言葉は、しかし、《余韻》のうちに入るんだろうか。
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