忘月忘日、ハイデガー

相棒と、ハイデガーの『存在と時間』を並んで読むことになった。並んで、というのは、ふたりで、というくらいの意味である。男と男の〈ふたり読書会〉だ。

ハイデガーの『存在と時間』は、20世紀最大の哲学書と呼ばれている、らしい。読んだことないんでよく解らないし、読んだとしても他の哲学書を読んだことないんで、たぶんよく解らないままにはじまるのだろう。

あっちこっちで翻訳されているが、初心者らしく光文社古典新訳文庫版を読むことにした。あ、相棒が同じ文庫版を手にするかどうかは、別。

Kindleのなかをがさごそ漁ったら、ひょっこりサムネイルがでてきた。ずいぶん前にKindleでダウンロードしていたらしい。あ、「Kindle Unlimited」版だ(おれ、いま『存在と時間』という本の形式のことを言ってるよ)。無料すなわちタダで読めるんだけど、でも紙媒体のが欲しいので、Amazonでポチっておく。それまでは電子版で我慢する。

今日のところは、「一九五三年、第七版への前書き」というまえがきを読んだ。
『存在と時間』という本(というか原稿)は25年前に書かれたらしい。しかも、ハイデガーの構想にあった原稿の〈前半部〉として。そして、対になる〈後半部〉は遂に書かれなかった。

そんなことが解った、稀勢の里引退の日の夜。

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