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書の身体 書は身体 第七回 「悪筆であるか」

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止め、はね、はらい。そのひとつひとつに書き手の身体と心が見える書の世界。しかし、いつしか書は、お習字にすり替わり、美文字を競う「手書きのワープロ」と化してしまった。下手だっていいじゃないか!書家・小熊廣美氏が語る「自分だけの字」を獲得するための、身体から入る書道入門。

「お習字、好きじゃなかった」「お習字、やってこなかった」
「書はもっと違うものだろう」
  と気になる方のための、「今から」でいい、身体で考える大人の書道入門!

書の身体、書は身体

第七回「悪筆であるか」

文●小熊廣美

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悪筆の書を観る
 
 前回は、形だけで終わることなく、それぞれが自由闊達な動きをもって生き生きしていた幕末志士の書をみてきました。
 充分な動きをもってそれぞれが魅力的でしたが、少々出来過ぎで、現代に生きるわれわれには遠い存在に思えたかも知れません。

 そこで今回は、“なんでこれがいいの?”と思うばかりの江戸から明治・大正・昭和にかけての書を見ていきたいと思います。
 ずばり、

「自分は悪筆である」

と思っている方々も、今回の稿で、自分の字に自信をもってほしいと思います。

 われわれは何を基準にして書という存在と関わっているかと考えてみると、小学校から中学校にかけて、「こういう字がきれいだ」、「美しい」などと、習字の時間をはじめとして、先生の黒板の字、親の字など身近にある字を通じて、社会通念として“美しい字”の基準を植えつけられてきたのだと思います。

 中には、書道教室に行って朱墨を入れられ、お手本そっくりに書けるようになるまで鍛えられた方もいるでしょう。
 では、それらの美とする基準はどこにあるのでしょう?


現代のお習字のモデル、欧陽詢

 現在、日本の書の美意識の根幹は、初唐7世紀の欧陽詢(おうようじゅん)の九成宮醴泉銘(きゅうせいきゅうれいせんのめい)といわれています。中国の姓では王さん、李さん、張さんらと違い、珍しい二字姓で、欧陽が姓、名が詢です。おなじみでは、歌手の欧陽菲菲(オウヤンフェイフェイ)さんも同姓ですね。

 さて、明治維新以降、幕府行政の根幹をなしていたお家流から、中国舶来の唐様へと書の基準が変わっていきます。
 それに伴い「習字」「書き方」「書写」など書の教育名称も変わっていくのですが、明治37年に第一期の小学校国定教科書ができ、日高秩父の執筆による「書き方手本」が採用されました。この書風は、いわゆる「顔法」といわれ、雄渾で健勁な唐代中期の顔真卿の流れにある書流が、その後の根幹となりました。

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