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対談/北川貴英&山上亮 第一回「親子体育」をかんがえる

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コ2にて「システマ随想」を連載されている北川貴英さん、整体ボディワーカーとして活躍をされている山上亮さんには、共通点があります。それは「子どものからだを育てる」活動をだいじに考えていること。北川さんは6年前からシステマの親子クラスを定期的に開講し、山上さんは整体的子育てをテーマに講座や執筆をされています。
 今回の対談「親子体育」では、運動神経がいい子どもは、からだができているといえるのか? 親(大人)ができることは何? といった、体育=からだを育てることをテーマにお話いただきます。

 第1回目は、「体育ってほんとのところ何なの?」について話が弾みます。


北川貴英×山上亮 「親子体育」をかんがえる

第一回  「へんなからだに会わせる」

語り●北川貴英、山上亮

構成●阿久津若菜



動きのストックを作っておく

コ2編集部(以下コ2) テレビなどでお子さん連れの方が、力士とか芸能人とか、有名人に会うと「抱っこしてください」とお願いすることがありますよね。いわれた方は、若い人だと抱き方も分からないから「えええっ?」っておっかなびっくり抱いたりして。これもよく考えると結構不思議な光景だと思うのですが、これは、どこかで有名人とか“凄い人”に直接触れることで、自分の子に何かいい影響を与える”という、原始的な感覚があるのでしょうか。

北川 例えとしてちょっと極端になりますが、ものすごく薄まったカニバリズム(編註:宗教儀礼としての習俗も指す、人が人の肉を食べる行動)じゃないかと思うのです。なぜなら他者の力を取り込もうとする行為という意味では同じですから。これって私はとても正しいと思うのですよね。それはからだとからだは感応すると思っているからです。その感応を通じて、いろいろなものを受け継ぐのではないかと。ですから自分の子どもには、できるだけへんなからだにたくさん会わせようとしています。どれだけ幅広く色々なからだに触れられるかどうかが、その人のからだの可能性を大きく左右すると思うのですよ。

山上 体育=教育といっても、こちらが意識的に「子どものからだをどうするか」と考えて働きかけることだけではないですよね。“動けるからだ”をつくるのに、いきなり体操やスポーツとして始めるのではなくて、もっと素朴に何かを感じた時にそれにパッと反応して具体的な行動ができるかというきわめて日常的なこと、それができるからだを育てることが、まず根本的な「体育=からだを育てること」だと思います。からだの動くきっかけが、頭による判断なのか、それともからだの感覚によるのか、そのどちらを目指すのかといったら、「親子体育」の目指すからだは、完全に後者です。
例えば、場の空気がおかしくなった時に何も言えずに固まっているのではなくて、「なんかからだがむずむずする、ちょっとおかしくない?」と言えるのは、すごく良いからだだと思うんですよね。よくも悪くも今は、いわば頭でっかちな人が増えている気がします。


北川 体育ができて運動神経がよくなって、スポーツで活躍できてよかったね、すごいねでは、困りますよね。「それが体育なのか」と?

山上 僕は「道徳とは、体育だ!」と常々いっています。「困っている人がいたら助けましょう」と、そんなこと頭でただ分かっていたってしょうがないわけで、実際に動いて助けなきゃ意味がないだろうと。道徳というのは「知っているかどうか」ではなくて、「動けるかどうか」で語られるべき事柄です。現代は、知識としてインプットして知識としてアウトプットできれば、それで教育が済んだとされますが、そこにはからだというものが完全に欠落しています。
 たとえば逆に知識として分かっていなくても、からだが動いてしまうことがある。どうすれば良いのか分からない時に、咄嗟にからだが動いて何かを選択していたりする。物事の決断を迫られる時って、必ずしもその判断材料がすべてきちんと揃っているわけではないでしょう。不確定要素ばかりしかなくて、それでも何かの決断をしなければならないという時に、ある種のセンサーを働かせるというか、そういうのってやはりからだの感覚だと思うんです。そういうセンサーの働くからだを育てるのが、体育だと思います。

北川 そうなんですよね。体育は道徳であり、知育でもあります。身体感覚の言語化と言うのは、かなり頭を使いますし。あと私は “いろいろなからだに会う”ということが、その具体的な方法なんじゃないかと思っています。これは動きのストック、引き出しを作っておくためです。さっきのカニバリズムでもミラーニューロンでもなんでも良いのですが、とにかくいろいろなからだに出会うことで、そのからだのもっているパーツが受け継がれると思うからです。なぜなら人と人のからだは意識するとせざるに関わらず、常に関わりあっていますから。

 からだの動きってジグゾーパズルみたいなもので、動きのパーツの組合わせなんですよね。その仕組みを使いこなせば、新しい動きを開発することができます。でんぐり返しからバク転まで、一見複雑そうに見える動きもすべて、全部パーツの組み合わせだと思うのですよ。運動神経がいい子って、“からだの中にいろいろなパーツをもっている子”のことなんです。パーツをもたないことには、動きを組み立てることができないですから。だから子どものうちは、とにかくパーツをふんだんにからだの中に入れておくと。組み立てる力をつけさせる必要はないんです。パーツさえたくさんあれば、勝手にできるようになります。

山上 パーツがないと、動きの選択肢が一気に減ってしまうのですね。

北川 ですね。引きだしは、その時自分ができる動きだけじゃなくていいんです。脳がストックしていくのは、からだがどんな風に動いた、どういう状態になったかというすべての経験ですから。裸足で走ってもいいし、竹馬でもいいし、一本歯の下駄でもいいかもしれない。あるいは高い高いをしたり、時にはプールの中にでも放り投げたりとか、とにかくいろいろな動きや感覚を体験させる。だからひとつのことを習熟させようとか、うまくならないとダメとかも、必要ない。でんぐり返しだけうまくなったって、どうしようもないわけですからね。とにかく、動きのパーツを増やす。でんぐり返しに失敗して、ごろんとするのも引き出しになりますからね。

 例えば逆立ちは、分解すれば「手でからだを支える」「上下が逆転する」「地面との垂直を保つ」など、複数のパーツの組み合わせだと分かります。親から誰かに足をもたれて逆さまになってキャーキャー言って喜んだ経験のある子は、すでに「上下逆転する」というパーツを備えているということになるのです。つまりその分「逆立ち」という動きを構築しやすくなるということです。

 そうやって難しい動きができるようになった、できなかった動きができるようになった。そういう経験が、達成感とか喜びになって自信になりますしね。それは口先で褒められて作られるようなヤワな自信とは異質です。こうしたこともあって、引き出しを作るのは大切だと思うのです。ただ私個人の場合はそういうことを始めたのが、大人になってからですから。やはり遅々として進まないのを感じます。子ども達の吸収力を見ているとうらやましくなりますよ。




あらゆる識別能力を隠さず磨く

山上 引き出しを増やしておくという話でいうと、赤ちゃんの識別能力に関する、最近の研究を思い出しました。生後6ヶ月頃の赤ちゃんって、ものすごく高い識別能力があるそうなんです。例えば、サルの個体識別ができるくらい。ニホンザルが10匹いたら、全員違う顔に見えているわけですよ。だけどその能力は、1歳くらいの頃にはもう失われてしまう。なぜかというと、生活に不必要だから。私たちはなんとなくでも日本人、中国人、韓国人の顔の区別ができるのに、欧米人にはみんな同じ顔に見えてしまうのはそういうわけです。もちろん逆もまたそう。ごく小さい時はあらゆるものをすごく繊細に識別する能力をもっているのに、成長するにつれて必要、不必要で分けて絞っていく。それは生存戦略として正しい。けれど、あまりにも最初からシンプルに絞りすぎてしまうと、あらゆる識別能力が隠されていってしまう。

北川 たしかお父さんがサルの飼育員で、サル山で遊んで育った女の子が、どの飼育員もかなわないくらい、サルのことが全部分かったという話をきいたことがあります。

山上 そりゃそうですよね、ある意味幼なじみの友だちだもの。何が好きで何がほしいかとか、「今どんな気分? ちょっとブルーなの?」とか、「あの子(サル)は今日、元気ない」とか、そうなったら慰めにいくよね、友だちだから。

北川 サルの個体識別どころか、顔色まで分かっちゃう。それはたくさんのサルを見ているからですよね。たとえばサルが1頭しかいなかったら、個体識別はできなかったかも知れないですね。

山上 そのサルの状態は分かったとしてもね。結局、その場にあるもので能力を身に付けていくから。能力はたぶん、消えることはないのだろうけれど、磨かれなければ低下してしまう。そこをもう一度開くというのか、さっきのサルの顔の識別でいえば、普通に過ごしていれば、日本人の顔に特化した識別能力だけが育っていくわけですが、その中で、いろいろな外国人会ったり、またサルに会ったり、犬に会ったりして、さまざまな顔に対する識別能力をなんとなくでも保ちながらいると、目覚めるかどうかは別として、大人になってもなんとなく違いが分かる、感覚が残るのではないかと思います。



からだのあり方から、メッセージを受け取る

北川 あとはまあ、多くのからだに出会っておくことで、人間という存在がもつ幅広さや可能性を感じてもらえるんじゃないかと。だから特に記憶に残らなくても、「出会う」ことは大事だと思うんですよね。もちろん気をつけなければいけない点もありますけど。

山上 からだの建前と裏というかどろどろしたところで、人間はつねに、いろいろなメッセージを発信しているじゃないですか。こうして今しゃべっている時だって、言葉である意味、建前のメッセージを授受しているけれど、それ以外にも話しながらもぞもぞ動いていたり、よそ見したりして、ほとんど無意識のうちにメッセージをやりとりしていますよね。実はその部分をお互いものすごく受け合っているから、建前でいろいろなことをいっても、からだに現れる副次的なメッセージにすごく印象づけられていて。たとえば教師が黒板の前に立っていくらもっともらしいことを話しても、そこからにじみ出るからだのメッセージを、子どもたちは無意識に浴び続けている。けれども、そこから受ける影響をほぼ考えられていないのが、現在の教育ではないかと。特に教育ではものすごく大事なところなのに。

北川 そうですよね。結局、からだに現れるメッセージからの影響力の方が強いから、私の中での結論をいってしまうと、体育として何やっても無駄だと思うんですよ。

山上 それは「意識的な」体育は無駄だということ?

北川 ええ。いくらカリキュラムとかメニューを考えても、最終的にはそれをやる指導者がどんなからだをしているか、ということになってしまいます。だから私のやっている親子クラスも全部無駄(笑)。異次元レベルで解放されてしまったようなからだに触れるインパクトには到底及びません。ただそこまでの人との出会いはなかなかないから、仕方なく親子システマのクラスが必要になるわけで。あとは、場ですよね。場というのは、からだにコンタクトしますので。

山上 そうなると「子どもの体育」で考えるべきは、「子どものからだ作り」というより、「おとなのからだをどうするか」ですね。

北川 そうなんですよ、まさに。だから子どもをなんとかする前に、自分をなんとかしないといけない。私の場合はどれだけ自分のシステマを深められるかが、子ども達を含めた周囲の人全員に関わる問題になるのです。適当なことをやって自分の評価が下がったりしても別に構わないのですが、周囲の人のからだを適当なものにしてしまう責任というのは常々感じています。場を通じて悪い影響を与えてはまずいですから。そうは言っても私にできることはたかが知れているので、いろいろなからだにコンタクトさせるようにしています。どれだけへんなからだに会わせるかという。

 うちの子の場合はシステマ創始者ミカエル・リャブコだの、甲野善紀先生だの、雀鬼会の桜井章一会長だのそうそうたる面々に抱っこしてもらってますからね。その意味ではかなり贅沢させているなと。桜井会長に至っては「あの人は『雀鬼』っていうスゴイ人なんだよ」と紹介したら、「ジャッキー!」と呼び捨てにしてましたからね(笑)。私はすっかり肝を冷やしたのですが、桜井会長も「おう」とか快く応えてくださったりして。だから親子クラスで一番ぐだぐだしてるのがうちの子なんですが、別に気にしていないんです。トップクラスの英才教育をもうやっちゃったっと思ってます(笑)。

山上 一種の洗礼というか、「感応」ですね。

北川 そうなんです。なんだかんだ言っても、感応で伝わったことが一番色濃く影響が残ります。昨年(2014年)11月に、ミカエルが日本に来た時には、会場にシステマの親子クラスの子ども達を呼んだんです。それでミカエルと集合写真を撮ったんですよ。その瞬間が親子クラスでもっとも多くの学びがあった瞬間です。一番大事だと思うのはそこなんです。ほかにも浅谷康さんというブレイクダンスの先生を招いたこともあります。ハリウッド映画のスタントやアクション指導をするほどの人なのですが、それっきりブレイクダンスにはまっちゃった子もいます。「将来は忍者になりたい」と幼稚園の卒園式で宣言した男の子が、浅谷さんのスタジオに通ったりもしていますよ(笑)。

(動画提供:鈴木太氏)

 だから見るだけでもいいんです、1回コンタクトさせておく。キッズシステマのエクササイズはたくさんありますけれど、一番大事なのはそこかなと思うんです。

山上 それって科学的にどうのといいだすと、なかなか取り上げづらい部分ですよね。いろいろなからだに出会わせる。そこでなにか回路が繋がる、感応する。自分の中にどんなチャンネルがあるのかということは、実際に出会ってみないと分からないことです。いろいろなからだに出会ってなければ、せっかくついているチャンネルがそのままになって、やがてふさがってきてしまうかもしれない。

北川 そうそう。同じテレビでも地上波しか入らないものもあれば、ケーブルだのBSだの何百チャンネルも受信できるものもあるわけで。観るかどうかは分からないけど、とりあえず受信できる幅を広げておくというのは子ども時代にやっておいた方が良いことのひとつなんじゃないかと思います。結局、他者を通じて自分を見ているわけですから、人間の可能性を知ることはそのまま自分の可能性を知るってことですから。とか言いながら、うちはケーブルもBSも加入してないんですけどね(笑)

山上 自分もできる限り、いろいろな大人に会わせたいと思いますね。自分がこのひとあんまり好きじゃないなと思っても、子どもにとって会う必要があるのなら、子どもには会わせてあげたい。だって子どもが親を嫌になる時もあるじゃない? そういう時に、子どもが選んでその人のところに会いに行くこともあるだろうし。そういう意味では、親の価値観の中に組み入れられてしまうと、子どもにとっては息苦しいかもね。


(第一回 了)



--Profile--

北川貴英(Takahide Kitagawa)写真左
08年、モスクワにて創始者ミカエル・リャブコより日本人2人目の公式システマインストラクターとして認可。システマ東京クラスや各地のカルチャーセンターなどを中心に年間400コマ以上を担当している。クラスには幼児から高齢者まで幅広く参加。防衛大学課外授業、公立小学校など公的機関での指導実績も有るほか、テレビや雑誌などを通じて広くシステマを紹介している。


著書
「システマ入門(BABジャパン)」、「最強の呼吸法(マガジンハウス)」
「最強のリラックス(マガジンハウス)」
「逆境に強い心のつくり方ーシステマ超入門ー(PHP文庫)」
「人はなぜ突然怒りだすのか?(イースト新書)」
「システマ・ストライク(日貿出版社)」

DVD
「システマ入門Vol.1,2(BABジャパン)」
「システマブリージング超入門(BABジャパン)」

web site 「システマ東京公式サイト


山上亮(Ryo Yamakami)写真右
整体ボディワーカー。野口整体とシュタイナー教育の観点から、人が元気に暮らしていける「身体技法」と「生活様式」を研究。整体個人指導、子育て講座、精神障碍者のボディワークなど、はばひろく活躍中。月刊「クーヨン」にて整体エッセイを好評連載中。


著書
「子どものこころに触れる整体的子育て(クレヨンハウス)」
「整体的子育て2 わが子にできる手当て編(クレヨンハウス)」
「子どものしぐさはメッセージ(クレヨンハウス)」
「じぶんの学びの見つけ方(共著、フィルムアート社)」

山上 亮ブログ:http://zatsunen-karada.seesaa.net/

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