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拝啓ターナーさま

大好きシリーズ。

めっちゃすっきゃねん。

ウィリアム・ターナーは、18世紀から19世紀をまたいで生きた英国の画家です。

彼には、天性の画家としてのいろいろなエピソードがあります。早熟の天才であり、画壇やアカデミーに認められていながら、晩年まで新たな技法を探求し続けた永遠の前衛でもあるといえるでしょう。

まぁ、カッコいい。

気合いの入ったエピソードのひとつとして、こんなのがあります。

荒れ狂う海を描くため、それを眼に焼き付けるべく、ターナーは時化の海に連れ出せと漁師に金を握らせて頼みます。画家は帆柱に身体を縛り付けてもらい嵐の海を乗り出したといいます。

狂ってるでしょ。

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そんなターナーの作品群をまとめて観ることができました。

めまぐるしい世界の形相っちゅうの?

荒れた海の漂流者、雪崩れる冬山、切り立った崖にかかった石橋。ダイナミックで圧倒的な風景を絵画に落とし込み続けるその筆着きは精微でありながら、優等生的なみみっちさは欠片もなく、実際の雄大な「現地」の迫力を遥かに突き破ろうとしているように見える。

誇張というのとはちょっと違う。

自然というものの五感を超えた猛威、そのパワーをもっと純粋に、人間の視覚にめり込むように絵画というものに翻訳して見せているみたいだ。だから刺さる。美しさも激しさもそうやって網膜にずぶずぶと突き刺さってくる。

疲れました。

本当に疲れた。いい意味で疲れた。絵の具が波頭のように飛び散る中で鑑賞者は溺れるしかないからだ。

この人、素朴な自然崇拝者ではない。

科学文明の所産、蒸気機関などを描いてもいる。人間という個人の集まりが歴史を築くのではなく、文明と歴史そのものが人間を追い越し、振り回すような時代に入った世界で、過ぎ去った時勢を惜しむのではなく、果敢に新たな壮大さを相手どり絵筆を握る。

現代に生きてたら、ダムとか原子力発電所とか粒子加速器とかをモチーフにしていたに違いない。F1のクラッシュシーンとかね。

ちなみに僕は『疾走する玉座』という小説の中で、ターナーの「吹雪」という絵をちらり登場させています。メインキャラであるウェス・ターナーの姓もウィリアム・ターナーから借りたものです。

しかも、晩年の実験的な作品はもーどこへ向かっているのか。風景を食い破るような抽象的とも見える世界へと突っ走っていきます。「吹雪」もそんな感じだよね。あと300年くらい寿命があればとんでもない境地にたどり着いていたかもしれません、が、それはないものねだり。

2万点とかいうすさまじい作品数を残したのですから、80年に満たない人生をある意味は走り切ったといえるでしょう。文字や絵を描くことを強迫的にやめられない人をハイパーグラフィアというらしいですが、ターナーはまさにそんな感じだよね。

ともかく、お疲れさんです。

この世の形相を描きつくした画狂です。あの世の絶景も嬉々として描きまくっているでしょう。


リロード下さった弾丸は明日へ向かって撃ちます。ぱすぱすっ