私には失敗する権利がある

こんにちは。お久しぶりです。

今回は、自分が今やっている陸上の事をありのまま書こうと思います。
ご存知、今のところしっかりした数字になっていないので、成功談でも無ければ失敗談でもない、ただの本人談となっております。
ひたすら自分の感覚の話と、割と当たり前のことを言っていますが、良ければお付き合いください。

私は今、城西大学の陸上部に混ぜてもらいながら練習をしています。
去年はリハビリから徐々に移行して通う日数を増やし、現在は練習スケジュールを自分で組んで参加をするようにしています。

課題はどこで解決されるのか
 
去年の冬季練習が始まった頃、練習をしながら
「走ってるだけじゃ脚速くならなくね?」
と思うようになりました。

走っているときに「ここが出来ていない」といつも同じ指摘を受けていて、今度はそこを強化するために補強運動をするのですが、
またしても「動かせてない」と指摘をされていました。
走りでも出来ないし、そのための補強運動でも出来ないなら、いつ解決するんだろう?ということを考えるようになりました。

走る・筋トレうんぬんのもっと手前の段階で、出来るようになっておかないと、これはいつまでも走りで同じミスを繰り返すなぁと思ったんです。

そう思ったあたりから、ジムで週に一回、トレーナーに身体の使い方を教わるようになりました。
「動かせる」ようにしたい、と簡単に口にしていましたが「動かせる」には

①筋力がある
②可動域がある
③動かし方を知っている

の3つの意味が隠れていたんだな、ということも段々わかってきたので、身体を柔らかくしながら動かし方を知ることに取り組んでいます。

私は肩回りの動きが硬いのと、左のお尻の筋肉が弱くて、ひざが内に倒れてつま先が外を向く癖があります。
400mは左に曲がる競技なので、左の外側が弱いのは中々大変です。

自分の癖と、それを改善するために何をやっているかを伝え、
その取り組みが走りにどう表れているのかをチェックして欲しい、とコーチにも依頼しました。

そんなことをしているうちに、怪我をする理由と速く走れない理由は同じだということに気づいたんです。
今は怪我をしにくくなってきていて、多少痛めても原因に予想がつくので、すぐに対応して治せるようになってきました。

「走ること」の位置づけを知る
 そうして冬季練習の半ば、ベルリンに約2週間個人合宿に行ってきました。ベルリンは3度目ですが、いつも素晴らしい学びを私に与えてくれます。
今回大きかったなと思うのは、各トレーニングの位置づけを理解できたことでした。

ドイツでは、走ることは色んな動きの集合体で、とてもテクニックが必要な実戦的なものと考えられています。
その複雑な運動を分解して、わかりやすく練習できるようにしたものがドリルやジャンプなどの技術練習であり、
さらに分解したものがウエイトやバランスなどの基礎練習にあたる、ということを徐々に理解することができました。
今やっているメニューはどれにあたるのかな、ということを意識してトレーニングをするようになりました。

だけどこれらのことは、過去に2回ベルリンに行ったときには、理解できなかったんです。
メニューの流れや言われていることはほとんど同じだったのに、何で今まで飲み込めなかったんだろう、と考えました。

そして思ったのは、日本ではずっと
走ることが基礎練習だと教えられてきたからだ、ということでした。
世界と日本の基礎は全く逆をいっていたんです。

初めてベルリンに行ったときはトレーニングの意図を理解できず「走る量が少なすぎる」と毎日不安になっていました。
冬季の最初に、走りの課題はどこで解決されるのだろう、ということについて考えてトレーニングをしていたおかげで、3回目の合宿にしてようやく理解できたわけです。

そしてコーチは私に基本の大切さを話す中で、
「基礎基本が出来ている選手は、調子の浮き沈みが少なく、試合で結果を残すことが出来る。
基礎が出来ていない状態で練習量だけを積み重ねた選手は、調子の波が大きく、自分でパフォーマンスを立て直せないことが多い。」と話していました。

自分がベストで走っていた頃のタイムは、まさしく練習量の賜物でした。
試合に出るたびにベストを更新し、時には自分の予想を上回るタイムを出すこともよくありました。
だけど何でそんなに速かったのかは、未だに自分で上手く説明がつけられないのです。
そして頑張っても頑張っても記録が出なくなってきても、その理由がわからないので、何をすればいいかわからずとても苦しい思いをしました。
ここにぶつかる選手は一定数いるのでは、と思います。

今は自分の癖を理解し、受け入れて基礎からやり直しています。

日本人は遺伝子的に劣っているのか
もしもの話ですが、ジョグと流しとダッシュだけで全ての練習を構成して、それで脚が速くなるのなら、こんなに多種多様なトレーニングは存在していないはずです。
それに、だとすれば日本の選手はもっと強くていいはずです。

海外にトレーニングに行って、日本人は遺伝子的に劣っていると言われたことはありません。
むしろこんなにも我慢強く努力をする人たちが、正しいトレーニングを積めば、どんなことになるのだろうと半分恐れすら抱いている印象でした。

走り込む前にやらなきゃいけないことは山ほどあって、そこから目を背けてはいけないと思うんです。
最後の最後は遺伝子の勝負ですが、その手前の段階でもっと出来ることは沢山あるはずなんです。

何も悪くないのに挫折
 まだ半年ほどですが、トレーニングの方向性に関してそんな確信を抱いてから、練習をして試合に出てきました。

でも、思った以上に数字にならなくて、とても落ち込んだりもしました。
自分で決めたことが全て自分に返ってくるプレッシャーを常に感じ、「ほんまにこれで良かったんかな」とぐらつきそうになる時もあります。

特にこの1ヶ月ぐらいが本当に落ち込みがひどくて、挫折に近い感情も出てくるほどでした。
私の周りには、プレッシャーをかけずに、あたたかく見守ってくれる人たちばかりです。
練習も怪我無く順調で、課題も明確でした。
現実的に悪い事は何一つ起こっていないのに、何でこんなに苦しいんやろうとずっと家で泣きながら考えていました。

そして最近ようやく
「自分のことをカッコ悪いとか、恥ずかしいとか思うからこんなに苦しかったんや」という事がわかりました。
それと同時に、今の自分の陸上のことをありのまま書こうと思いました。
失敗した話や、恥かいてそれでも挑戦した話に、背中押される人がきっといるはずだ、
そんな言葉を生むために、私は一回世代のトップ選手を経験したんだ、とも思うようになりました。

私のキャリアに大きな影響を与えてくれた人がいるのですが、その人は会って話すようになった当時から「ハルコは走る文学者だ」と言っていました。
その時はこういうことを書くずっと前だったのですが、今になって良く思い出す言葉です。

悔しいと思わなくなったら終わり?
 つい先日、関西実業団という試合がありました。日本選手権の標準突破を狙っていたのですが切ることは出来ませんでした。
400mHは目標にほど遠く、10台目こえた後ちょっと泣きながら走ってました。

でも、走った後にすぐに自分のレースを振り返って報告をしていました。
次の日の400mは昨年のシーズンベストを上回る結果でしたが、そのレースの後も同様です。

申し訳ない・恥ずかしいとあまり思わなくなっていました。
それをトレーナーに話して、
「悔しいと思わなくなったら終わりってよく聞くけど、私ってダメなんですか」と質問したら、
楽しいと思わなくなったら終わり」と返ってきました。
私はそのトレーナーと話すのがとても好きです。
この記事のタイトルも、その人から貰った言葉です。

最後に
 気持ちがあふれて3000字を超えてしまいました。
私は今、こんな風に陸上をしています。
カッコ悪いから真似せんとこ~って思ってもらっても良いし、自分も色々挑戦してみようかなって思ってもらっても良いです。

今はただの本人談ですが、いつか全てが美談になる時がくると信じています。

ここまで読んで頂きありがとうございました。
それでは。

関西実業団の400mの表彰。
ほぼ2年ぶりに57秒を切りました。

1つ1つクリアしていきます。

#スポーツ #陸上競技

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