レールから外れてしまった人生。

レールから外れてしまった人生で、外れたまんまの場所で体育座りしながら、キョロキョロ周りを見渡している。今の私は、きっとこんな感じ。

見えるのは、社会人になった周りの友人と私との”当たり前”の変化。私の首の角度は、少しずつ少しずつ増していく。変わらない私と、友人の成長は、少しずつ少しずつ広がっていく。

体育座りしながらも、将来について考える。なかなか心にこびり付いて剥がれない綺麗事たちは、取っておくべきなのか、拭き取るべきなのか、なんだかもうよくわからない。レールから外れた人生に、既存の正解はなく、自分で答えを導き出し、それを正解にしなきゃいけないことを知っている。それでも私は、上の空を見続けている。何してんだろ、毎日思っている。

社会に半歩踏み出してみた結果、お金の稼ぎ方に悩んでしまった。

パッケージだけ見たら、美しい箱も、蓋を開けたら、一般的な美しさとはかけ離れていたりする。でも、一度箱の中に飛び込んでしまったら、意外と居心地が良くて、自分を閉じこめて置きたくもなる。「ねぇ、蓋は閉めておいてよ。」見た目に釣られて、蓋に手を伸ばした人へ、私は声を掛けている。

この歳になると、レールなんて一本じゃなくなっていたことに気づく。いや、大きな一本レールは脱落者を数多く排出しながらも、確かに残ってもいるが、そこから足を踏み外してしまうと、そのレールを側から眺めることすら難しくなる。

私は、大きな一本のレールを”綺麗”と錯覚していたのかもしれない。美しさとは、一体なんだろう。



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