大都会東京にいると、優しさを大事にできなくなる
満員電車。
今朝だけ、私の車両だけ、空いてたりしないかなって思いながら、でもやっぱりいつも通りの、満員電車。
ちょっと寝不足だったりすると、すぐ貧血気味になるけど、そうしたらイヤホンから流れる音にできるだけ集中して、「私は大丈夫、私は大丈夫」って自己暗示をする。
なぜって、どんなに具合が悪くても、立っていられなくなっても、大都会東京では誰も手を差し伸べてくれないから。席を譲ってくれることなんて、期待するだけ無駄。
以前、貧血で顔が真っ白になって、立っている人と人の間に座り込んでしまった時も、誰も声をかけてくれなかった。むしろ、邪魔だなという感じの視線でいっぱい。座り込んだまま、次の駅までなんとかだましだましでやり過ごす。
だから東京で人の温かさに出会うのは、もうすっかり諦めている。
そして私自身も、東京で暮らすうちに、「人に優しくできない集団圧力」を受けて、「そういう人たち」の一人にどんどん吸い込まれていくような気がする。
今回はそれを強く感じた出来事を書き留める。怖くて、情けなくなって、懺悔みたいな気持ちでこの話を書く。
私は、その日も電車に乗っていた。通勤時ではないが、そこそこ混んでいる電車。
そして、私はゆるいながらも体のシルエットがまあまあ出やすいワンピースを着ていた。
ある駅に止まって、人がどっと降りたときに、ある女性の方が顔をぱっと明るくして(たぶん、少女漫画であれば、細かい集中線みたいなやつが飛んでいる)私に手を振って、「空きましたよ!」と。
たったいま空いた席を確保してくれた。
私は状況がよくわからず、「えっ?」と聞くと、「だってほら、妊婦さん...」と私のお腹を見ていった。
えっ!!
私はなんだか恥ずかしくなってしまい、「違います」とだけ言って、下を向いてしまった。
確かに。自分の下腹部を見てみると、初期の妊婦っぽい。
その時は割とお腹いっぱいで、腹筋に力を入れていないと、お腹がぽこんと出て見える。この微妙にラインの出るワンピースは、失敗だったかな...。
なんとなく、妊婦でないのに妊婦に間違えられたというのがめちゃくちゃ恥ずかしく、とにかく時間が経つことだけを祈ってスマホを見ていた。
でも。
スマホを見ているうちに、声をかけてくれた方の気持ちの方が気になってきた。
せっかく勇気を出して、席を譲ろうとしてくれたのに、冷たく否定されて、それで終わり。
彼女は、きっと間違えたことを私が怒っていると思って、申し訳ない気持ちかもしれない。とてもがっかりして、次に妊婦さんを見ても声をかけるのをやめてしまうかもしれない。
東京ではなかなか出会えない、知らない人を意欲的に助けようとしてくれた心優しい方なのに。
私は、だんだん後悔の気持ちでいっぱいになった。
妊婦に間違えられることなんて、どうってことない。「太って見られたくない」という、本当にくだらない自分の名誉を守るために、貴重な優しさをないがしろにしてしまった。
せめて、お礼を言うべきだったと思う。できれば、機転を利かせて妊婦になりきって席を譲ってもらうべきだったと思う。
いや、せめて今からでも、お礼を言おう。まだチャンスはある。
そう心に決めて、自分が降りる駅まで、なんども「絶対言うぞ」と反芻した。スマホを見ながら、停車時間まで何分だ、降りるときに絶対に声を掛けるぞと。
そして、結局言えなかった。
私は結局東京には珍しい「優しさを大事にする人」にはなれなかった。大多数の、冷たい、他人に無関心な人たちのうちの一人。
そのことが情けなくて、悔しくて、怖かった。
だから、またあの人に会いたい、会ってお礼が言いたい。
そして、私はもっと腹筋を使って妊婦に間違えられないようにしながら、
困っている他人を当たり前のように助け、助けられることに当たり前のようにお礼を言う人になり直さなければならない(だって、それが本来の人のあるべき姿だもん)。
声をかけてくれた方、ありがとうございました。今後も妊婦さんを見かけたら、同じように声をかけてください。私も、声をかけるので。