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#3 見えない「圧」

久々の復活。あ、三日坊主にはなりませんよ!これは何としても続けますよ。発信したいことはいっぱいたまってるのです。

留学も1か月が過ぎ、だいぶ余裕が出てきたこともありいろんなことを考えられるようになりました。

その中でも最近強く感じることを一つ、「見えない『圧』」について。


先週、とある知り合いの方に「東京とベルリンの違いって何だと思う?」と聞かれました。その方はドイツで生まれドイツで育ち、今は東京で働かれている韓国人の方。

その時の私はうまく言語化できなかったのですが、こう答えました。

「東京の人々は他人にやさしくないし冷たい感じがするし、『こうあるべき』と押し付けられている気がしました。ベルリンではそれを感じないんです」。

そのあと、その方にこう言われました。

「見えない『圧』が東京、いやアジアは存在するよね」。


日本は驚くほどに同一民族がいまだに保たれている国なのかな?と外に出てから感じます。だからこそ、「見えない『圧』」の存在が生まれるのかな?と。

外に出て、はたから日本を見たとき、私にはそれがすごく苦しいものに感じました。


・こんな服装を着ると誰にでもいい印象を与えられる!

・こんなメイクをすると男女モテ間違いなし!

・インスタグラムはキラキラした日常を載せるものだよね!

・バイトは礼儀正しくあるべき、清潔感も持って!

・子供を持つ親はスマホなんか見ず子供をあやすべき

・子供が泣くのは親のせい

・力仕事は男性がやるものだよね

(例に偏りがあるのはご了承を。。。)


全部「当たり前」かのように感じて、それが普通だと思い行動していたのですが、でもベルリンで上のことを考えたことってほぼないんです。っていうかベルリンの人々からこの『圧』を感じたことがない。

みんながそれぞれに生きている。服装だって自分の好きなものを着てるし、すっぴんで歩いても変な目で見られることはない。力仕事だろうと女子でやるし、子供が電車の中で大泣きしてもその場の空気が冷たくなることはない。



私は同じ大学生の中でも自分の好きなように生きてきたつもりでしたが、でも実は見えない『圧』に縛られてしまっていたのかなと。


就職活動もそうだし、これからの自分の人生もそう。

「こうあるべき」、っていう圧が存在するのはなぜ?

何故、自由に生きること、すべての人々を受け入れられないの?

いろんな人がいるのは当たり前じゃないの?


次で書きますが、最近、自分事で言えば「就職活動をして東京で働きだすことって正解なの?」と強く感じます。自分の人生は一回きりで、自分がどう生きるかは自分に決定権がある。それなのに会社に縛られて、会社が一番の生活になるのはどうなんだろう?それって自分が望む人生なの?と。

答えはまだ出てないけども、色んな人の意見を聞きつつ探していこうと思います。


「百聞は一見に如かず」

この言葉の意味を強く感じます。

わざわざ海外に出なくても日本でも学べることってあるでしょ、と思っていた時もありました。

でもそうじゃない。

自分から外へ出て、自分の五感をフル使用して知る世界は全然違くて、毎日気づく発見が楽しくて今は仕方がないです。☻



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