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人間を作るが芸術作品 孤高の天才

運動好きの、この俺が運動が怖くて出来ない。
運動は見るものじゃなくするものだと考えている俺は捻挫をした時も指の腱が切れてた時も腰が徐々に悪くなって痛みが出てきた時も運動はやってきました。

ダイエットの時も1日4時間ぶっ通しで歩きました。
痛かろうが苦しかろうが運動には躍動感があります。
その躍動感こそ生きてる実感がする。

それが命の鼓動と共鳴しているから起こり得る躍動感の生きている実感

それなのに今、運動が怖くて出来なくなってしまった。

運動をやって感じた逆の死の実感を感じたのだと思います。

だから運動が好きな俺が運動が出来なくなってしまいました。

やっぱり死の実感とは人に恐怖を与えるものなのかと思いました。

それが強烈すぎたのだと思います。

だから運動はやるものするものの自分でも運動をやれなくなるぐらい死の実感は強烈なんだと思いますす。

でもこのままではいきません。

糖尿病の事も考えてみても運動をしないのは明らかかに危険すぎます。

ここまでの自分はかなりストレスを感じてるはずです。

このストレスが食べる事を促進させて食べたら状態変動を起こしてまたストレスを感じて食べるの繰り返しです。
その間に疲れて状態に巻かれてダウンです。

悪循環感の連鎖を切らなくてはいけません。

わかっていてもやれないのです。

すでに状態は過剰にストレスを感じて変化してます。
厳密には脳にストレスがかかっている状態だと思いますが脳への対策が見つかりません。

追い込まれる事でまたストレス
うまく無意識に発散させる能力は発揮されてると思います。

じゃなきゃこの状態で生活できるはずがありません。

ストレスの回避方法が具体的にわかればこのストレス社会へのストレス退避方法を提示できるのですが自分が今、どのようにストレスを回避しているのかがわかりません。

ただなんらかの方法はやっているはずです。

胃にも穴も開かないとはストレス耐性があるのだろうかと思います?

ただ実感してもそれを考えてはないのです。

考えたら不安に繋がります。

だから考えないのです。

考える自分が真逆の考えない方法を取るのです。
経験によって編み出した方法なんでしょう。
よくよく自分を多角的に分析してると思います。

自分を知る事は今、現状の自分を知る事に繋がります。
現状を知る事はストレスを知る事にも繋がります。
それが出来れば不安というストレスは軽減できると思います。

それでも人が抱えられないぐらいのストレスは超えていると思いますが許容能力も高いのかも知れません。

現状爆発しないのは自分の能力の高さを裏付けます。

耐えるだけだはダメです。

問題解決をしなければ現状は変わらないからです。

現状打破
これに尽きます

だから怖がっている場合ではないのです。

運動をやろうよと自分に言いたいです。

らしくないよとも言いたいです

死の恐怖が俺にあるの?

まだあったの?

俺は生きたかった

だから15歳の春、生きるか死ぬかの選択を迫られた時、生きるを選択した。

生きたかったから選択した。

生きて何がしたかったのか?

俺は希望になりたかった。

敗者でも天下を取れるという証が欲しかった

俺には生きる困難が待ち受けている。

でもここを生き抜いた人間だけが知る世界は天下だと思うと思ってた

だって天下の世界は死を境にしてあるからです

それを知っているか知らないかでは大きな違いです。
経験の比重も違う。

その経験は財産です

人生の財産

それがご褒美

そして自分が一番やりたかった事が自分を作る事です。

天才になってみたい

その想いこそ生きる力になりました。

誰も知らない世界の人間の天才を目指したのが自分です。

誰もが天才だと想います

その理由は誰しも自分と人間を作り得る天才だと想います。

自分を作る事に芸術性を自分は持たせてます。

写真も音楽も運動も自分を作る為の芸術でしかないのです。

芸術とは自分を作る事だと思っています。

その為に写真や音楽や運動があるのです。

人類の改革は自分の意識からです。

自分の意識改革も芸術です。

自分という作品を作りたい、だから頑張れるのです

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