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疲れの極致 悪循環

ここまでやればストレスを麻痺させる事が出来るのかと思いました。
今日の疲れは半端ありません。

完全にストレス状態を麻痺させています。
でもこれほどまずはやらなきゃストレスを麻痺出来ないのかと、この疲れはあきらかにやり過ぎてはいます。
ここまで疲れさすのは逆に疲れる。

だいたいこれはなんなんでしょう?

病気でない人もここまでの疲れはまれだと思います?
それが病気の俺がここまで疲れさす、それも究極に疲れさす。
それしか生きれないからやっているのでしょうが続かないでしょう。

続かないのはわかっているはず。

続かなければ薬で日常を切っている。

なとも酷い人生だと思います。

酷い人生の意味はストレス下が酷いからです。

人生の半分以上がストレス下の人生です。

それに耐えてきてるのです。

その精神力は並大抵じゃない事は分かります。現に今でもストレスを麻痺させるだけの疲れを起こしているのです。

それで倒れないのです。

考えられますか?

ストレスを麻痺させる為に疲れさす。
でもその疲れがまたストレスになるでしょう。

これは悪循環なんです。

悪い事は必ず悪循環を起こして切る事がなかなかできないのです。

この自分でさえ人生の半分がストレス下なのに今でもストレスです。

切れないですよ。

状態は集中と散漫を繰り返しています。
その集中もどちらかと言えばマイナス面が強いのです。
ミスをする事は散漫です。
でも集中すると意識する事に繋がりそれが一点に集中し出すと状態に影響してストレスになります。

本当はリラックスした状態を作るのが理想なのかも知れません。

ただなかなかそのような状態には自分はなれません。
その理由がすでに状態が緊張しているからです。
でも本来、緊張をほぐす事は出来るのです。

それができないのはストレスが強いからです。

ほぐすどころじゃないのです。

過度の緊張で硬直してるのです。

だから自分は動きまわっているのです。

今、自分の中で写真を選んでいるのはその場所まで動く事が出来るからです。

ただ写真を撮り始めてファインダーに集中し出して集中が増してくるといつか集中に巻かれて来ます。
どの道、今は悪循環なんです。

すでに状態の緊張でストレスのスイッチは入りっぱなしです。

でもこのストレスは自分の問題で強くなったわけじゃないわけです。
今回は宗像病院の対応でストレスの状況下がひどくなってしまいました。

病気だけから来ているストレスならなんとかやれる自信はありますがまわりの人間が煽ったストレスは対応するには時間がかかるものなのです。

対応するまでに要する心の整理が必要だからです。
まずは受け入れる気持ちを作らなければならないのです。
ただなかなか心の整理は付きません。

自分がなりたくてなったわけじゃないですからです。
でもこれでもストレスに対応しているから疲れで麻痺させる事も出来るのです。
ただそれは力技だから緊張が確実に緩むまではならないのです。

体より心、心から体に影響が来てます。

体に影響して来てるストレス状態は疲れで麻痺させているけど心の緊張を解けてないからまだ問題なのです。

なかなか心の問題を片付けるのは難しいです。

またこの問題が自分一人の心から発生してるなら対面のしようもありますが他人からの影響は本来、他者との対話で解決していくものなのです。

自分はそれを知っていたから宗像病院のスタッフに試みたのですけど病院の人間が話を聞かなくて対話の治療をやらなかったのです。

病院が治療を自ら放棄して患者に治療を受けさせなく病院自体からも追い出しを図ったのです。

残されたのは俺のストレスだけです。

それに苦しむは誰なのか?

俺です

被害者は俺自身です

これが宗像病院の真実です。

医療がこれをやるわけです。

まともな医療な訳じゃありません

その医療に人の血は流れていません。

流れていればこの仕打ちは出来るはずがありません。
そしたら宗像病院のスタッフは何?

やっぱり鬼かな?

終わりそして続く

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