見出し画像

ロモの日々

Fisheye No.2の写真です。
お待たせいたしました。Fisheyeはトイカメラらしい写真ですね。
トイカメラって意外に簡単に撮影できます。
ただの写るんですと同じようなものです。
意外に撮ってて楽しいですよ。さほど撮影した写真にハズレがないので面白いとは想います。
基本的にロモは人物撮影が多いので自分のようにロモネイチャーとかフィルムで自然は狙わないかも知れません。
でもロモのフィルムで自然を狙うのは面白いです。
ただ35㎜フィルムは光の吸収性があまりないかもです?
もう少し光を吸収してくれるといい感じになると想ってはいます。
120フィルムは結構、よく写ってくれるかもです。
ずっとレッドスケールで撮影してた時のレッドスケールはよかったかもです。
レッドスケールはまた投稿します。

フィルム

ただロモでけに特化してる訳じゃありません。
ロモでけじゃないフジフィルムやコダックのフィルムがまた難しいと想います。
絶妙な絞り、シャッタースピードを考えなきゃいけないのでここははっきり言ってまだ経験不足です。
ただフィルムはフィルム写真の仕上がりを見てしか上達はしないと想います。
結局は積み重ねていくしかないのだと想います。
常に考え学ぶそれしか成長はしないでしょう。
でも実感としてフィルムはやればやるほど成長してる想います。

だから面白い

本来、芸術に答えはないはずです。
基本的にデジタルはみえてしまっていると想います。
シャッターボタンを押せば写真が撮れるじゃみえすぎている。
フィルムは当たりがわからない、このわからないがいいとは言いますがストレスですよ。
基本的にわからない訳だからストレスだし現像に出して当たらなけれそれまでです。

何が魅力なのかと言えば撮って作っている感は圧倒的感はフィルムです。

でもその場で見れないし現像しても当たってなければ、もうその時には戻れない訳だから喪失感はあります。
狙っているのが自然だから余計に喪失感です。
自然はその時が命ですからね。
こんな心の病の俺が喪失感じゃ悲しくなりますよ。
でもめげないで次は頑張ろうと想って撮影に挑みます。

これこそ臨死体験だと想っています

心が壊れているとはそんなものだと捉えています。
フィルムをやる理由はこんな感じでも面白いからですね。
じゃなきゃやりません。
現像して撮れてない、じゃ次は撮ろうと想えれば撮れます。

言うなれば

根気、我慢

この忍耐が今の時代、必要なんだと言えばこの忍耐が人を作ると想っいます。
今の時代簡単になんでも出来過ぎです。
それじゃ人としての本質は出来ません。

苦しむ想い

その想いこそ芸術であり芸術家の生き方です

なんとなくロモらしい、写りです。基本的に絞りもシャッタースピードも固定なのでフィルムのISO で天気の状況により調整します。トイカメラは遊ぶの要素は強いかもしれませんが遊びの要素を芸術にするです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?