富裕層への課税による貧困解決の困難さ

 少し前の話ですが、AFP通信のホームページにこんな記事が上がっていました。

世界の超富裕層26人、世界人口の半分の総資産と同額の富を独占

「世界で最も裕福な26人が、世界人口のうち所得の低い半数に当たる38億人の総資産と同額の富を握っている」
という読んだだけで溜息が出てしまうようなニュースです。ある意味残念なニュースではありますが、自分が溜息が出るだけで済ませてしまうのは、自分自身の富が世界人口のうちの所得の「高い」半数に含まれていると確信できるからかも知れません。私だけではなく、おそらくほぼ全ての日本人が、世界人口の半分より上に位置するはずです。個人レベルでは日本国内において貧困層に属していても、日本円のレートと社会保障サービスにより、世界レベルでの貧困層に比べればマシな生活を送ることは十分可能です。

 上記の記事の重要な問題点は、この世界レベルでの貧富の格差が年々広がり続けていて、世界人口の所得の低い半分の資産総額が1年で11%も下がったことです。富裕層が自らの富を運用して利益を上げるのはしょうがないというか、多分誰だって富を減らすよりは増やす方を望むでしょうからしょうがない話ですが、富裕層が富を増やすのが世界全体の富が増えた結果ではなく、おそらくそれだけではなくて恵まれない半分からもさらに富を合法的(もしくは非合法的に)奪っているということになります。

 エントロピーが増大するように、貧富の格差は意図的に修正しない限りはひたすら広がり続けます。富が富を生むことの容易さに比べると、富を持たない人が富を持つようになるのは非常に難しいです。ビジネスの世界、アイデアに関する話題では、1を100にするよりも0から1を生み出す方が難しいと言われますが、別にビジネス上のアイデアだけの話ではなくて、貧困解決が難題であることも同じです。

 記事の中で、報告書をまとめた国際NGO「Oxfam」は富裕層や大企業への課税による貧困解決を求めていますが、
「それができるならもうやってるだろ」
と言いたくなります。

 超富裕層の誰もが、ウォーレン・バフェットやビル・ゲイツのように富裕層への特別な課税を認めてくれる訳ではありません。むしろ、課税逃れにお金を使ってスペシャルなプロフェッショナルの助言でさらに富を保ち続けます。ほとんどの富裕層は自身が経営者として収入を増やすだけではなく、既に所有する富を資産運用して増やすことによって、さらに富を加速的に増やし続けます。その上で、パナマ文書などで暴かれたように各国政府によって課税される税金を低く抑える、もしくは課税自体が無いようにすることにより、資産を増やし続けます。

 個人的には死ぬまで遊んで暮らせるだけの財産を何千人分や何万人分も持っているのにそれ以上に増やしてどうするのだろう、その富を維持するために合法と非合法の境目を行き来したり、屈強なボディーガードを何人も雇ったり、最新鋭のものすごいセキュリティシステムを導入したりして神経をすり減らすよりは、ほどほどのところで抑えていた方が楽しい人生になるんじゃ無いのかと思いますが、これは持たざるものの妬みなんでしょうかね。

 しかし、貧富の格差が増大し続けると、社会は不安定化します。貧困層にとってはとんでもないことをやらかしても失うものが無い一方、富裕層はとんでもないことにおびえ続けて富を維持するための防御費用を稼ごうとさらに稼ぐスピードを上げます。そしてさらに貧富が拡大するという悪循環のなれの果ては富裕層の街と貧困層のスラムという二分化です。街レベルで分化しているならまだましで、貧困層がテロリズムを容認するようになるとさらに社会は不安定化します。


 逆に言うと、スーパーリッチへの課税を強めれば、テロリストを減らせるはずです。もちろん、これだって
「それができるならもうやってるだろ」
という話ですが、富裕層に対して課税することが社会を安定化させて、あなたたちの資産も脅かされないことになるんですよ、と納税のメリットを説くしかありません。

 ただし、これは富裕層に課税する国家・政府が信用されていないとダメです。言い方を変えると、その課税による税収をしっかり貧困問題解決に費やさないと課税の理屈が通りません。税収不足の足しにしたり、中間層からの支持を集めるために使ったりしては貧困解決にならないし、富裕層はますます課税逃れに励むようになるでしょう。

 いわば、富裕層→政府→貧困層のお金の流れで、政府による中抜きを防止する必要があります。

 富裕層が直接貧困層にお金をばらまいてもいいですが、実際にばらまくわけにはいきません。その寄付を貧しい人達一人一人に渡すためには様々な組織や人間を介する必要がありますし、結局はそこで中抜きされるリスクが出てきます。

 なんとも世知辛い話ではありますが、中抜きしそうにない善良な人々に任せればいいのだ、という理屈は通用しません。それだって
「それができるならもうやってるだろ」
ってことです。中抜きしない善良な人々というのは、非常に残念ながらそんなに世の中にはいません。そもそも中抜きの定義にもよります。

 例えば1人のスーパーリッチが100億ドルをどこかの国の貧しい人達に寄付します、と言いだしたとして、貧しい人達の手元に食料や衣料品や住居や教育施設などで還元するまでの中間には、資金の送付手数料、品物の購入費用、輸送に次ぐ輸送の送料、現地での建設資材費、それらに必要な人件費などが存在します。スーパーリッチの手を離れた時は100億ドルだったのに、現地の貧困層に渡った時には50億ドルになっていたとしたら、50億ドルも中抜きされたことになるのでしょうか。それともこれは必要な経費でしょうか。50億ドル分の中間層(あるいは別の富裕層)への富の分配が行われたと見なすべきでしょうか。そして、50億ドル中抜きされるとしても100億ドル寄付すると言い出すスーパーリッチは存在してくれるのでしょうか。そしてその中抜きを、社会は許容出来るでしょうか。

 貧困問題の解決策として富裕層への累進課税を持ち出すのは簡単ですが、富裕層はホイホイと納税してくれるわけはありませんし、その税収が適切かつ迅速に貧困そうに渡るとも限りません。望むらくは、富裕層自身が自身の防衛と社会の安定のために納税や寄付をするという奇特な行いが、オーソドックスな行為にまでなってくれることを。

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