共産主義が失敗した理由の一つ

共産主義が失敗した理由としては、計画経済の不可能性とか権力の集中が過ぎたことととか色々あると思いますが、国民の精神的な側面として、王制・貴族制の否定と宗教の否定があったのではないかと思います。

王制つまりは国王など生まれ持った地位によって立場が保たれる仕組みというのは、圧政を強いている場合は当然ながら国民の怨嗟の的になります。その結果の革命であれば当たり前ですが王制が廃止されます。フランス革命やロシア革命はその代表例ですが、前者はその後、共和政・帝政が行き来した挙げ句に今の共和政が定着しました。後者ロシアの方は共産主義革命後はソビエト連邦が出来、その崩壊後は現行のロシア共和国が続いています。

共和政は比較的宗教に寛容ですが共産主義では宗教は王制と共に既得権益層として否定され、科学的(共産主義的)ではないものとされました。個人的にはここが、その国民の精神的背景を否定することになり、共産主義が上手く行かなくなったときに心のよりどころがなく、結果として国家崩壊につながったのではないかと思っています。

それまで共産主義国家のような厳しい圧政を敷く国家や政府が無かったわけではありません。そういう国がすぐにダメになるかと言えばそうとは言えず、民衆が苦しみながらも嫌がりながらも従い続けて国家が存続するケースもありました。

今、自分たちを苦しめている政府以外に、心のよりどころとなるような存在があれば民衆としては必ずしも政府打倒という選択肢をすぐには取らないのではないでしょうか。そこで、権力は無いけれど権威はある国王や、来世を説き精神的支えになる宗教が必要とされるはずです。

共産主義国家はそれら心のよりどころを否定した形で国家を形成しましたので、国家的危機が訪れた時にあっさり終わったのではないでしょうか。逆に言うと語弊があるかも知れませんが、国王や宗教の存在を許しておけば政府がそれなりの酷政を行ったとしても民衆の許容度(我慢できる度合い)は比較的高くなりそうです。

共産主義が国王も宗教も否定したのは上記にあげた理由の他に、国内における権威と権力の一極集中が必要な形態だからでもあります。レーニンが「全ての権力をソビエトに」と言ったことにも象徴されるように、共産主義国家では権力の二重構造は認められません。中世ヨーロッパにおける国王(皇帝)と教皇のような関係性は当然ながらあり得ないものとされました。

何せ、共産主義国家では憲法よりも共産党・共産主義の方が上位に存在します。憲法はあくまで共産主義に基づく共産党の支配を支えるものであって、共産党と憲法が食い違った場合は憲法の負けです。法(憲法)よりも共産党が上位になるのです。

共産主義において、共産党が法の上に存在するのは、絶対君主制における君主と同じであり、君主が制定する法の制約を君主自身は免れるのと同様です。

ルイ14世の「朕は国家なり」という理屈はそのまま、「党は国家なり」という言葉にスライドできるわけです。

また、絶対君主はその正当性を神から与えられていましたが、一方で共産党は共産主義という科学から正当性を与えられた存在です。だからこそ、共産党批判は共産主義批判となり、神=科学を否定するのと同じだから絶対的に許されない行為となります。今の中国が政府批判と党批判で対応が異なるのはそこにあります。

さて、今の中国は共産党国家ではありますが、もはや経済的には共産主義ではありません。その一方で国王も存在せず宗教も政府の支配下以外のものは認められていません。共産党が現在の経済的繁栄を保証することで国民の支持を得続けています。極端な言い方をすれば「中国共産党教」という宗教が、国民という信者に対して、経済的繁栄という現世利益を約束することで崇拝されている状態です。

中国発の儒教も共産主義の思想とは相容れないはずですが、ほんのうわべだけ、世界的知名度を生かして中国シンパを作るためだけに利用されています。その一つが世界中の有名大学に作られている孔子学院です。共産党が否定している儒教の祖である孔子の名前を冠した施設で共産党の宣伝が行われているというのは、今の中国共産党が以下に共産主義よりも現世利益を大事にしているかが分かるというものです。

さて、中国はともかく今の日本ではどうでしょうか?

日本における宗教的バックボーンというのは年々減ってきています。正月に初詣、お彼岸お盆に墓参り、七五三、葬式といったくらいでしょうか。大半の日本人にとっては、イベントが無ければ日常的に宗教的な行動・解釈などは行われない状況です。

その一方で、日本における国王でもあった天皇制についてはそれなりに存在感を保ち続けています。今年は譲位があり改元もあったからでもありますが、太平洋戦争後に比べて、それから数十年経った後からはずっと、天皇制廃止を唱える声はごく少数のままです。

これからのことは分かりませんが、皇位継承で難しい状態になるか、あるいは重大なスキャンダルでもない限りはそんなに天皇制支持率も下がらないのではないかと思います。

国民の間に事実上宗教が存在しなくなった今、国家が国家として成り立つ最後の心のよりどころとなるような存在としては天皇制しかないはずです。逆に言うと、天皇制を廃止して共和政に移行すると、政治的失敗がダイレクトに国民の精神に打撃を与えて共和政そのものの危機に発展するはずです。


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