豊かさと民主的さの不都合な非比例関係

※写真と本文はあまり関係ありません

 中華人民共和国(以下、中国)が経済発展し国民が豊かになれば民主的な国家になる、と欧米のリベラルな人達は90年代から00年代にかけて信じていましたが、今ではそれが幻想に過ぎなかったことを痛感しています。国家全体のGDPで日本を抜き世界第2位になりましたが、習近平体制になってからは民主化・人権擁護の観点から見ると明らかに後退しています。

 「衣食足りて礼節を知る」という言葉(正確にはちょっと異なるというか、色々言い方がありますが)は中国に昔からあることわざですが、少なくとも現在の中国共産党が支配する中国には当てはまりません。共産党から見たら儒教的概念は憎むべき反動保守勢力の金科玉条なのでかえって逆のことをしているのでしょうか。それならそれで世界各地の大学に孔子学院を中国国民の税金を費やして作り続けていることに矛盾するんですけどね。

 そもそも、現在の中国はまだ豊かではないという見方も出来ます。GDP総体としては世界第2位になりましたが、国民一人あたりのGDPでは8,000ドル前後ですから、まだそれほど高くありません。というか真ん中とまではいいませんが豊かとは言えないでしょう。

 だからまだ民主化できないのだ、という意見を言う人もいるかも知れません。しかしこの、「国民一人あたりのGDP」で測った場合、上位層には民主主義国家というよりも資産管理国家がランクインしてきますが、中位層には原油や鉱物資源などにより豊かさを享受できる国家が入ってきます。そしてそれらの国で欧米人が思い浮かべるような民主的な国家は少ないです。

 すなわちどういうことかというと、「国家の豊かさや国民生活の豊かさ」と、「その国が民主的である」ことにはほぼ関連性がない、ということになります。
この事実は一部の、自身の理想を尊いものと思っている人にとっては不愉快な結論です。

 逆の言い方をすると、民主的であろうとなかろうと、国家が経済発展するときには発展するのだということになります。リベラル派に取っては辛い事実かも知れませんが、国家は民主的でなくとも豊かになることが可能です。

 「不都合な真実」という言葉はよく使われますが、まさにこの「民主的でなくても豊かになれる」という事実は「不都合な真実」に当てはまるのではないでしょうか。別に独裁国家を擁護するつもりはさらさらありませんが、これまでのリベラルの甘い予想は捨てて、民主化要求と経済発展支援はまるっきり別物だという前提で対応していかないのだと思っています。


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