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閉鎖的なインターネットという矛盾を実験するロシア

 ロシアがいざというときのために、ロシア国内のインターネットを国外と切り離して存在できるような実験をするそうです。

ロシアが「国内のインターネットを国外から切り離す」実験を行う予定

 記事には、外国(まあまず想定しているのはアメリカだと思いますが)からのサイバー攻撃に対して防衛するために行うとありますが、よくそんなこと考えるな、というかインターネットを閉じたら意味ないだろう、という気がしないでもありません。保守的な傾向がある国にしてみたら、それほど突飛な考え方ではないのかも知れませんが、少なくともアメリカ合衆国において、インターネットを国境で遮断するという発想は、SFの世界でしか考えないでしょう。

 開かれない国は衰退していきます。しかも、恐ろしいことに自分たちは衰退しているということに気付かないままです。それはロシア自身がかつてのソ連時代に経験したはずなのですが、人の記憶というものは時が経つと変化していくもののようです。喉元過ぎれば熱さを忘れるとは言いますが、かつてソ連時代にあれほどの耐乏生活を送っていたにもかかわらず、そして冷戦終結後の90年代に経済の大混乱があったのにもかかわらず、昔は良かったと考える人が今のロシアには結構いるのでしょうか。

 ロシアだけではありません。すでに中国はグレートウォール=万里の長城と称される国家レベルでのファイアーウォールを整備済みです。中国国民が開かれた外の世界の開かれた様々な議論を目にすることで様々な意見を持つことを中国共産党は恐れ、拒否し、弾圧しています。

 インターネットではありませんが、江戸時代の日本も似たようなものでした。鎖国というキーワードは今の歴史学ではあまり的確な表現ではないそうですが、徳川幕府は長期間に渡り比較的閉ざされた対外政策を取りました。16世紀においては(当時は分からなかったこととはいえ)世界有数の戦力(火縄銃)を保持していましたが、19世紀まで軍事的技術の発展はなく、火力や海洋戦力においてアメリカ合衆国の艦隊に大きく劣ることになりました。まともに海軍力を保持していれば、浦賀沖にやってきたペリー率いる艦隊を撃退までは行かなくともストップしていたはずです。

 昔であれば、閉ざされた国家の衰退が顕著に現れるのはまず経済力、次いで工業力でした。経済活動が停滞し、それによって技術の発展が遅れて工業に反映されていくといった感じでしたが、今のグローバル化社会だと、インターネット遮断によって国内に閉じこもった場合、国民のイノベーションへの意欲が減退するのではないでしょうか。

 1980年代の日本や韓国、台湾などの国々が猛烈にアメリカ合衆国の経済利益を奪っていっていた時代の後の1990年代にIT技術とインターネットによって再び世界の覇権を経済的にもイノベーション的にも奪い返しました。インターネットは開かれているからこそ強力なものでありますし、そもそもの存在自体が開かれているものです。さらにそもそも論を言うと、「インターネット」という言葉自体が複数のネットワークを結びつけるという意味なのですから、閉じたネットワーク(「イントラネット」とはまた違った意味づけになりますが)にしてしまったら短期的には国家的利益が出るかも知れませんが、長期的には間違いなく国民におけるイノベーションやIT技術の発展の沈滞という報いを受けると思います。そしてそれは相対的に、開かれているアメリカ合衆国の勝利という結果に結びつくのではないでしょうか。もちろん、その時点でアメリカ合衆国が閉じていないことが前提ではありますが。

 そうなったとき、日本はどちらの側に位置しているでしょうか? 個人的には開かれている方に位置して欲しいですし、そうしないと同じく停滞・沈滞の報いを受けることになると確信していますが、果たして、日本は開かれている国であり続けられるでしょうか? 目の前の短期的な利益に溺れず、長期的な視野に立って国家を運営し続けられるでしょうか?

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