見出し画像

法律は冷たいか

一般に、法律を基準に物事を考えると言うと、感情とか道徳を軽視するような、心が冷たいような印象を受けるかも知れません。転じて、法律自体が冷たいもののように思えるかも知れません。

しかし、本来というか現代の法治国家において法律は冷たいものではありません。
むしろ、法律を無視した横暴な力から、人々を守るために存在します。

ただし、法律に守られるためには法律を知っておく必要があります。逆に言うと、法律を知らない人が法律に守られることを望むのは無理があるということです。

当然ながら、自分に関わる全ての法律を、誰も彼もが熟知出来るわけではありませんので、そこで必要に応じて、弁護士、司法書士、行政書士や税理士といった士業の出番となります。

弁護士はご存知の通り、およそ法律全般に関わる業務を行うことが出来ますので、法律がらみで困ったことがあったら相談する相手としては頼もしいです。ただし相談料も高いです。30分で5千円が相場でしょうか。急ぎでないのなら、法テラスや自治体などの無料法律相談あります。裁判に関することならまず弁護士に相談することになります。

司法書士は一般人にとっては、法務局が絡んでくる書類に関する相談が多いはずです。不動産の登記や会社法人の登記などです。

行政書士との一般人の関わり合いで一番多いのは相続関連でしょうか。最近ですと消費者金融における債務整理でも金額によっては行政書士で完結出来ます。弁護士より安価な手数料・相談料で済む利点があります。

税理士はその名の通り税金に関わる問題のスペシャリストですから、これまで挙げた士業の中では一番関わるケースが多いかも知れません。登記や相続や裁判沙汰なんて一生にそう何度もあるわけではないですが、税金に関しては毎年発生しますから、自営業の方でしたら毎年確定申告が必要ですし、会社経営なら言わずもがな、サラリーマンでも確定申告が複雑な場合は税理士に頼んだ方が楽でしょう。

こういった感じで、法律に関わるのは必要に応じて専門家に頼る形が多いと思います。
法的知識が必要になったときに、該当する法律の専門家を頼るのは当たり前のことです。
ただ、必要があるときに専門家に任せきりになるのではなく、なぜ法律があるのか、法律が必要なのか、そして法律を煩わしいものではなく権利を守るためのものだということを認識することこそ必要なことではないでしょうか。
何か自分の権利を侵害されたときにこそ、法律は使用すべきものです。法律は権力者が権力を誇示して維持するためにも使えないことはないですが、弱者も同じ法律を同じように使えます。だからこそ法律と言えます。

しかし、法律がどのように権利を守ることが出来るのか、ということを全く知らない、考えないというのはもったいないとも言えますし、ある意味法律上の権利に甘えているようなものとも言えます。

また、法律をお互いに利用して戦う場所である裁判所は真実を明らかにするところではありません。
双方の主張に基づいて、現行法において妥当な解釈を下す場所です。
裁判の結果、裁判官に裏切られたとか間違っているとかいうよりも、こちら側に裁判官を説得する材料と論理がなかったから裁判で負けるのです(もちろん、強大な権力を持っている検察・警察側が証拠を捏造して冤罪を作り出すケースがあるのは事実ですが、この点は現行法や裁判制度に問題があるというべきでしょう)。

権利の上に眠る者は法律で保護すべきではないとされています。
これは、法律を適用して権利を守るべき時にそうしなかった場合、その権利は必要無いものとして失われることを意味します。

近代的な法治国家が出来る前の、例えば、宗教的な権威が絶対的な価値基準だった国家(そう呼べるなら)を想像してみましょう。もっと具体的に言うと、キリスト教が価値基準になっている国や地域に住む人が、聖書も知らずミサにも行かずキリストもマリアも知らない人が神の奇跡を望むようなものではないでしょうか。

法律を知らなければ結局損をします。政治家にしろ役人にしろ弁護士にしろ、法律に関わる人間は一般庶民に対して、法律の結果そのものを伝えるだけではなく、法律の知り方を教えるべきではないでしょうか。一番いいのは学校で教えることですが。

法律は冷たいとか非人間的とかいうことではなく、あくまで自分の権利を守る道具です。使う使わないは自由ですが、使わない・知らない人が法律に文句を言うのはお門違いでしょう。何せ、法治国家において、法律を否定するわけにはいきません。法律とは何か、法律はどのように使うべきかを学ぶことは当たり前であるはずです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?