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アメリカと中国と項羽と劉邦

2007年にアメリカ軍のキーティング司令官が中国を訪問した際に、中国高官から「ハワイを境にして太平洋を米中で分割しよう」と持ちかけられた、という話があります。まだ中国がGDPで日本を抜く前でしたが、抜くのは時間の問題であり、リーマンショック後の巨額財政出動で経済的にも世界的に大きな影響力を行使し始める時期でもありました。その後、習近平の時代になってからはあからさまに太平洋(及び内陸部のチベット・モンゴル・ウイグル)へ軍事的圧力を行使するようになりました。

この米中による太平洋分割という目論見を見るに、古代中国の項羽と劉邦による楚漢抗争の時を想起してしまいます。

司馬遷「史記Ⅰ 本紀」項羽本紀 p.228 ちくま学芸文庫 より抜粋

 この時、漢軍の勢いは盛んで軍糧が多かったのに、項王の兵はつかれて糧食が尽きた。漢王は陸賈をやって、項王に太公を還してほしいと言ったが、項王が聴かなかったので、さらに侯公をやって項王と談判し、「漢と約束して天下を二分し、鴻溝(河南・中牟)以西を漢の領土、鴻溝以東を楚の領地とする」ことを申し入れた。項王はこれをゆるし、漢王の父母妻子を帰したので、漢軍はみな「万歳」をとなえた。漢王は侯公を封じて平国君とした。人が「彼は天下の弁士で、行くところそこの国を傾ける」と言ったので、「傾国」と反対の「平国」君と号したのである。
 項王は漢王と約束すると、兵を率い囲みを解いて東に帰った。漢王は西に帰ろうとしたが、張良と陳平が、「漢は天下の大半を保有し、諸侯もみな漢に味方していますのに、楚は兵がつかれ糧食が尽き果てています。これは天が楚を滅ぼそうとするのです。この飢えに乗じて天下を取るのが上策と思います。いま放置して撃たないのは、いわゆる虎を養って自ら禍根をのこすものでしょう」と言ったので、漢王はその説に従った。
 漢の五年、漢王は項王を追撃して、陽夏(河南・太康)の南に行き軍を止めた。(以下、略)

項王は項羽、漢王は劉邦、太公は劉邦の父です。

引用部分をその前後も含めてまとめますと、項羽と劉邦は数年にわたる戦の末の和平交渉の結果、項羽は人質を劉邦に返して、当時の中国を二つに分けてお互いの領土として、一旦どちらも撤兵しようという和解を行いました。そして項羽がその和解を信じて帰ろうとしたところに、劉邦陣営は参謀の意見が通り帰路にある項羽をいわばだまし討ちの形で、和解を破って追撃した、ということになります。

その結果、項羽は敗れ故郷に戻る途中で討ち取られます。劉邦は天下を統一し漢帝国を築き上げました。漢は前漢、後漢合わせておよそ四百年にも及ぶ帝国となり、創始者に当たる劉邦に関して、上記のだまし討ちを非難する人はまずいません。逆に降伏してもしなくても大量の虐殺を行っていた項羽の方が非難されることが多いくらいです。

勝てば官軍ということでもあり、負けたら何もならないということでもあり、和解はいつまでも続くものではなく絶対的に信用できる敵などいない、ということでもあります。

現在の超大国であるアメリカ合衆国と中華人民共和国とが、間にある太平洋を分割してお互いの勢力圏を定めようという提案について、中国側がどこまで本気で考えているのか不明です。ただその考えは19世紀における帝国主義そのものであり、まさにその19世紀に帝国主義によって苦しめられた清朝の恨みを晴らすような理屈でもあります。

中国にしてみれば、太平洋の真ん中どころか中国近くにある韓国・日本・台湾がアメリカと連携している状況が、勢力関係を正確に反映していないという不満があるのかも知れません。

もちろん、2007年当時のブッシュ政権も、その後のオバマ政権も、そして今のトランプ政権も中国と太平洋を分割して支配しようとするサインもメッセージも出していませんが、将来的にも絶対にないと断言するべきではないでしょう。

アメリカは世界の警察官たり得ないことを公に口にしたのはオバマ時代ですが、その後のトランプもアメリカファーストというお題目を唱えて経済的かつ軍事的な影響力を世界から減らそうとしています。

アメリカが世界に軍隊と資本を投下していたのは、自由資本主義に基づく民主主義体制を世界中に広めることが目的であり、それによってアメリカがさらに発展・繁栄するのがその先の目的でした。20世紀後半を通じてその目標は達成され、日本やドイツ(西ドイツ)やアジア各国などに製造業を奪われながらも、未だに世界一の超大国として君臨し続けています。

しかし、冷戦崩壊後に自由でも民主主義でもないが資本主義を採用している大国が中国やロシアなど存在し、それらとの付き合いを続ければアメリカの繁栄が続くと判断すれば、アメリカが世界に軍隊を派遣する理由はほぼ無くなります。

アメリカにとってルーツに当たるヨーロッパと、アメリカ東海岸の間の大西洋を表玄関とすると、経済的繁栄を支える西海岸と太平洋は勝手口と裏庭に当たります。超大国として表玄関と裏庭を支配し続けるパワーが無くなってきたのなら、先に削られるのは裏庭のためのパワーでしょう。5年10年は変わりはしないでしょうが、相当先の時代には分かりません。アメリカが極東やグアムから手を引き、ハワイにラインを引いた場合、日本は中国の勢力圏に否が応でも組み込まれます。

さて、どうするか。

日本にとって一番いいのは現状維持です。アメリカが在韓米軍を置き、日本とは日米安保を結んだまま、台湾にも影響力を持って中国に合併させない状態を続けるだけで、中国を膨張させずに済みます。

中国と太平洋を分割したとしても、中国は楚漢抗争の時の劉邦のように裏切って太平洋全部を支配するつもりですよ、と告げ口みたいにいうのはダメですかね。

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