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マニュアルは本来お互いを守るもの

今に始まった話ではありませんが、マニュアルに沿った対応しか出来ない人はしばしば批判されます。

マニュアルは作業の手引きであってそれが本質ではないのは確かですが、だからといってマニュアル的対応を一律に批判するのも危険です。

例えば、コンビニでお酒やタバコを買うときに求められる、「私は20歳以上です。[はい][いいえ]」という表示が出て[はい]ボタンを押す作業がしばしば槍玉にあげられます。

客側から見ればなんで自分がやらなきゃいけないんだ、という不満の素ではありますが、コンビニ店員側から見れば、自分が客の年齢を判断する作業を省いてくれるものです。

監督官庁とコンビニ業界でのやり取りで決まったことなのだと思いますが、そもそもなぜそのような作業が必要なのかというと、未成年者の飲酒喫煙を防ぐためです。そのために社会全体が面倒な作業を分け合って負担する、という仕組みです。

見るからに年寄りという人にしてみたら面倒でしょうがないことですが、どこかで線引きが必要なわけで、店員の自己裁量に任せてしまうと厳しい店員・店舗と緩い店員・店舗が出てきて、売上に差が出るだけではなく結局その店舗の周辺で未成年者の飲酒喫煙が増えるという社会的損失を生み出すわけですから、個人の都合と社会の都合のどちらが優先されるか、という問題になってきます。

こうなってくると国家の成り立ちや民族の歴史などで権威主義的、集団主義的か個人主義的、独立主義的かどっちだ、という話になってきますし、そういう話になると日本社会では社会の都合が優先されるのは間違いないでしょう。

コンビニタバコ問題はマニュアルが社会の利益と店員の利益が優先されるということですが、そもそもマニュアルでしか動けない店員がなぜ存在するのかというと、雇ってから実践に投入するまでに費用をかけていられない企業側の都合があります。マニュアルを覚えたら即お店で働く、研修に時間をかけないことで人件費を減らせます。そしてその企業側の都合というのは最終的には商品・サービスの価格に転嫁されるわけですから、店員のサービスに高い要求をするのなら高い費用を払え、という元も子もない結論になってしまいます。

タクシーとハイヤーは運転手の態度や運転技術に差があるのは当たり前です。
料亭と牛丼屋で料理の味や店員のおもてなしに差があるのは当たり前です。
デパートの外商とコンビニの店員に商品知識や受け答えに差があるのは当たり前です。

庶民的な商品・サービスが提供される状況で接客対応の質が低いことに消費者側が激しく反発してしまえば、提供側は労働者の確保に困り、最終的にはロボット・AIに代替されてしまうでしょう。マニュアル人間どころではありません。生身の人間に対応してもらえるには金がかかる、という時代が来てしまいます。もちろん、マニュアル人間よりもAI搭載ロボットの方が質が高いサービスを提供する可能性もありますが。

マニュアルの存在は、店員の臨機応変な対応の必要性を減らすことで、店員になる労働者の質のハードルを下げるという効果をもたらします。
また、雇用する企業にとっても人件費を減らす効用があります。
そしてマニュアル的対応を受ける消費者にとっても、安さというメリットの他に、客を見て対応を変えるような不公平さも無くすことが出来ます。

三者三様に本来はメリットがあるはずのマニュアルですから、もう少しマニュアル人間に対して優しく接してみてはどうでしょうか?

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