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日本人と国民とラグビー代表と

ラグビー日本代表の快進撃が続いています。誠に嬉しい限りですが、さて、このラグビーでは国家代表の選手の資格には国籍が入っていません。居住年数の制限はありますが、当該国籍を持つ選手が一人もいない代表チームも理論上は編成可能だそうです。

サッカーの日本代表や、各種スポーツのオリンピック代表選手などを基準に考えると理解するのが難しいですが、在地主義ということで国籍ではなく居住地を資格要件にしているとのことです。

国家代表という概念が他のスポーツと異なるわけですが、日本国籍を持っていない選手達が血眼になって日本代表の勝利に貢献しようとする姿は見ているだけでただ感動を覚えます。

そしてこれは、日本に限らず将来の国家、国民の姿かも知れません。法的には今後も国民を意味づける理由のままであると思いますが、概念的には国籍以外の要素が、国民とは何かという資格・条件になっていくかも知れません。

現代の国家は国民を国籍で決めています。当たり前ですがこれは国民国家であればどこでも同じです。

ちなみに日本国は国籍付与を血統主義に基づいて実施しているので、両親のどちらかが日本人であることが条件となります。帰化することによって日本国籍の取得は可能ですが、帰化の条件が比較的厳しいものになっています。

国籍については国によって付与条件が緩かったり厳しかったりしますが、EUのように超国家的存在においてまたぐのが不便な国境が存在しなくなり、国籍があまり意味を持たなくなると、「〜〜国民」とはなんなのでしょうか?

日本らしい暮らし、日本人らしい生き方をしている? ベッドで寝起きして、パンやパスタを食べ、洋式便所で用を足し、洋服を着て洋装の靴を履いて、教会で結婚式を挙げたりして生活しているけれど私たちは日本人であることは自他共に認めるはずです。

逆に、日本国籍を持たず、アジア系の顔立ちでもない人が和服を着て下駄を履いて布団で寝起きして和食を食べて和式便所で用を足していても、日本人とすぐには認められないでしょう。

日本では国家の領域と国民の大多数を占める民族の居住領域がほぼ同じという点で世界的には希有な国家なのですが、日本以外の国ではその二つが異なるのは当たり前です。その場合、国民を規定する要素が国籍以外にはまず存在しません。

日本人とはなにか。その人の外的な要素(国籍や衣食住)で決まるわけではなく、日本という共同体に所属して利害を共にすることを認めて貢献しようとする気持ちがあるかどうか、という内的な要素に規定されるとしたら、今のラグビー代表まさにそれを体現する存在だと思います。

見方を変えると、国家という共同体に魅力が無ければ、国籍保持者や居住者が逃げ出すか、居住していても貢献意識が無くなり国家を維持するだけの国力が無くなるということにもなります。

19世紀に生まれた、政府・領土・国民を規定する国民国家という概念は、強大な影響を世界にもたらしました。国民国家化の進展度合いが国力増強の度合いに比例し、立ち後れた国家は進んだ国家に植民地支配され、最終的には国民国家同士の2度の世界大戦とその後の冷戦を経過し今に至ります。

世界大戦も冷戦も近代国家同士の戦いでした。国民国家化が総力戦をもたらしたわけですが、物理的な戦争以外にも経済、文化など社会全体も国家単位で発展することになりました。代表的なのは大企業ですが、20世紀後半から21世紀にかけて、いち早く大企業が多国籍企業として国境を越える存在となりました。そして一部の巨大企業はタックスヘイブンを利用して国家への納税もほぼしなくなります。商業分野において国家が意味をなさなくなりつつあります。

そしてスポーツでも例えばヨーロッパのトップクラスでは代表戦よりもチャンピオンズリーグの方が人気が高く、国家単位のリーグを超越したスーパーリーグ構想はこの20年間何度も生まれています。

ノーベル賞受賞者でも南部陽一郎氏のように日本で生まれ育った後に研究者として移住して結果的にはアメリカ国籍を取得したケースもあります。日本人としての受賞と言って良いのか受賞時にも少し話題になったと思いますが、学問の分野も国境があまり意味をなさない世界でしょう。

国家が国民にもたらすものが多ければ国民は国家に貢献します。国籍に関わりなくてももたらされる貢献は、戦前戦中の上からの国家主義的な要求によるものではなく、共同体への帰属意識から発露するものであり、そうなれば21世紀的国家概念の誕生でもあります。

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