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6歳の子供というものは、子供なんでしょうか?というのは、そろそろ理屈を覚え、自分で判断し活動するようになる。親を一人の人間として眺めるようになる。自我が生まれるということでしょうか。

人は自分の意思で生まれてこないし、自分の意志で死んでいくわけでもない。その点では植物のような存在ですね。
植物と異なるところは、自我を持つこと。自我を持った時、自分とは何かを考えはじめるわけです。もちろん、程度の差こそあれ、6歳になれば、自分と周囲の事について考え始める。それは言葉や態度に出ることはないでしょう。だから、うっかりすれば親がそれを見逃す。親は子供の変化に気づかないこともあるし、気づくこともある。気づいた時、お母さんは寂しいんじゃないですか?
自分の子供が、少しずつ自分の子供という役割を脱出していくことに、お母さんは嬉しい反面、寂しくもあり、憎らしくもあり、できることなら、それを阻止したい。子供を産んだことが誇りである限り、その子供が子供でなくなると誇りが失われる。私って何なの?
現実には許されませんが、自分の子供は永久に自分の子供であってほしい。どこかのオンナに奪われたくねえ!それがホンネではないでしょうか。

韓国・ソウルのある地区でですね、親子連れが餓死した。集合住宅の部屋から異臭がして、室内を調べたら、42歳の母親と6歳の男児が倒れていた。残された食物は唐辛子のみ。死後二ヶ月経過。
調べによれば、最後に引き出された預金が3,858ウォン(340円)。
近隣の市場の人たちの証言では、この親子はちょっと面倒な客で、市場で一個500ウォン(44円)のレタスを一個だけ買っていくようなことが多かったようだ。最後に見たのは春頃。

この母親は脱北者です。
こういう情報に接するとですね、再教育とか生活支援とか、脱北者を受け入れる施策がなくはないんですが、肝心の、周囲の感情に課題が残されてないかと感じる。
この親子はソウル市内の集合住宅に住んでいたが、周囲から孤立していたのではないか。餓死なんて、どう考えてもおかしいでしょ。こういうことを政治の責任にしたくはありません。私たちの心の問題ですから。


子供には反抗期がありまして、親に悪態をついたりするもんですが、悪態をついてる限り、子供はまだ子供なんで、親としては、うれしい。今日の投稿は以上でございます。親孝行しろよ!ありがとう

#COMEMO #NIKKEI

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