それがいいとわからない

おはようございます。今日は夜から雨が降るらしいですよ。いやですねえ。

 3月15日ですね。みんな読んでくれ。2019年3月15日午前8時0分。今日もなんとなく投稿することができました。さあ、私の周囲ではですね、何かと、まあ、慌ただしいと言うか、季節の変わり目ということもあり、学生さんは卒業式。あるいは入学式に備えての準備期間ということで、何かと気分一新と言うか、期待と不安が入り交じったという表現がよく言われますが、全くその通りですね。期待というポジティブな気持ちと不安というネガティブな気持ちが渾然一体になっている。それらは混ざり合うということはありません。溶け合うこともない。一緒になることがないんですね。期待と不安が交互に現れる。走馬灯のように現れるということでしょうかね。
 しかし思えば期待というポジティブな気持ちだけではダメなような気がしますね。そこに半分不安というネガティブな要素がなければ、期待というものが正しくならないと言うか、鍛えられないと言うか、期待が期待として認知されないような気がするんです。
 例えば、スイカを食べる時に塩を振りますね。塩を振らないと甘くない。これ不思議ですね。塩辛さの力を借りて甘いものが甘くなる。全く不思議でございます。最初にスイカに塩を振ったのは誰なんでしょう?まあ、わからないですけどね。
 まあ、夏なんかは暑くなりますと汗をかきますよね。汗をかいたら体力が低下します。それは体内の塩分なんかが流出するからだと言われるんですけどね、実際はどうか知りませんよ。それを補うために水を飲んで塩を舐めるということを人類はやってきた。以前聞いた話ですが食べ物や水がなくてもひとかけらの岩塩があれば生き延びることができたと。岩塩をポケットの中に入れて時々舐めることで体力が持続したという話を聞いたんですが、それはもう命がけの実験と言うか、もう揺るがない事実だと思いますね。
 私たち物事をとかく理屈や言葉で理解しがちですが、体験を伴う情報、特にそれが生命に関わる情報は信念として私たちの胸の中に定着しますね。それが正しいとか勘違いであるとか、そういう議論の余地なく信念として定着する。それがいいのか良くないのかは私、分かりません。分からないというのもまた信念であります。
 というのはですね、私たち勘違いしたり騙されたり、よくしますんでね、物事はあまり信じない方がいいんじゃないかというのがやっぱあるんですね。
 信じるということも信念ならば、信じないということも信念。疑うという信念ですか。極端な言い方をすれば、信念を持たないという信念。それもまた大切なんじゃないかなと。特にフェイクニュースが流行っております。それを聞いた時、目にした時に、まず疑う。自分の尺度で評価する。ということがこれから必要になってくるかもしんないですね。

そうなんです。信じるために疑え。今日はさようなら。これは信じていいよ

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