悩みととりあえずの結論

 アステロのC2C3の中でなんとなくの居心地の悪さを感じていて、その理由が分かってある程度どうしたらいいかの答えも落ち着いたので書く。
 まず感じていた居心地悪さの正体について。私が一番、精神が先行していて音楽的なことはあんまり考えていない人間だからなんだろう。私はバンドをやりたいからバンドをやっているのではなくて、やりたいことをバンドという形態でやっている。今まで小説を書いてきたような創作の一環だと思っている。こういうジャンルの音楽をやりたいとかはあんまり考えていない。聞き手がいる前提で曲を作っているわけではなくて、表現したいという欲求のままやっている。青春期が終わって深く考え感じることが今までより若干難しくなり、うまく小説が書けなくなってきたため音楽にフィールドを変えた感覚さえある。
 最近、打ち上げに行って「ベースラインが良い」とか「ギターの音作りがいい」、「曲展開が良い」とか自分はよく考えていない部分ばかり誉められている気がする。私はよく悩んでそれをなるべく純度高いまま表現できる良い表現者になりたい。小説家になりたいと思っているのと同じっていうか。とくに市街屋や三橋先輩は上記の私の考えと逆な考えを持っているため、「良い曲を作りたい」「良いバンドになりたい」と思っている人たちの会話にさらされすぎて疲れてしまった。軽音部なのだから当然そうであって正しいというかなんらおかしいことではないはずなのだけれど。私のそういう意図の特性上、自分の日常の悩みや思考回路ごと晒しながらライブをしているような感覚になる。他の人は音楽的な探求心でバンドをやっているため(C2C3あたりはおそらく?)、違う視点で私のバンドのことを見て感想を抱くのだろう。私はこれをそこまで考えて受け取れなかった。なんだか腫れ物、割れ物扱いされていてみんな私に「よく悩んでいるんだね」って言ってこないのかなと思っていた。あえて音楽的な、誰でもはたから見て同じ感想を持てるような事実ばかり言ってくるんだろうと思っていた。空回りしているのかなと思って恥ずかしかった。
 逆に居心地が良かったときのことや、嬉しいと思うことについて。去年の秋ごろはじめてタイムマシンをライブでやって、その映像を見たえまさんに「精神が先行している音楽」といってもらえたとき。すがけんさんに「俺はもう見えなくなっちゃったもので見覚えのあるものを見ているようで羨ましい」と言われたとき。真先輩に、「一表現者として尊敬します」って言ってもらえたとき。Nemo&Marlinのライブを見ているとき、などなど……。
 E棟フェスの動画を見返してみたら思っていたより、自分がなりたいやりたいと思っている姿に近かった。このまま頑張っていけば上記のように表現したいことを受け取ってもらえることももっと増えるだろうと思う。肩身が狭いと思ったのは代替わりによって精神だけが第一に先行しているバンドがネジティブパンチになってしまったからなのかなと思っている。かなり自信満々で大口を叩いているかもしれないが、動画を見返してみてこれは迷いを持たなくていいなと思った。こういった思想とのズレがないと思う。孤独だと思ったり肩身が狭い、居心地が悪いと思っているのはやりたいこととの解離がなく、半端に誰かの言説に影響されているわけじゃないということの裏返しでもあるではないだろうか。
 幸い私には、私がライブをやったり曲を作ったりする度に食らってくれたり、私がこういったぐしゃぐしゃの悩みを相談したとき「お前が天才だからだよ!」と大げさに肩をもってくれたりする山本がいる。彼女のそう言ってくれるような部分を松葉杖のように利用したい。そういう発言を聞くたびにもっともっと深いところまで内省的な表現者になりたいと思う。

 最後に、安部公房は「終わりし道の標に」で文壇の道に踏み切ることを示唆して「さあ、地獄へ!」と書いている。内省的な苦悩を表現するような、精神が先行する創作はその性質上身を削りながらの過程になることが避けられない。でもその過程をやってでも表現したいという論理的でない心からの欲求があるのだから腹を括りたいと思う。人に伝わっているかとか評価されるかとかはまだ重要じゃない。自分の脳ミソとどれくらい向き合って、なりたいと思った表現者像に向かっていけるかを一番に念頭に置きたい。要するに、他人の感想に何か感じたりしなくて良い。やりたいと思っている姿に解離がないのだから、「日常生活でよく悩み、なるべく純度の高いまま表現できるような曲を作る」ということをコツコツ継続したい。最近になってからの「居心地が悪い」という悩みは、この二点の結論に纏まった。

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