MOTFDと私

高校三年生の秋頃に初めてmass of the fermenting dregsのnew orderを聞いた。多分、授業をサボって理科室の前のベンチで自習や放置されてるパズルで遊んでいたときのことだ。


 サボっていたといっても完全に不真面目なわけではない。夏休みに友達が自死してしまった。大好きだった学校は残酷な場所になった。別室扱いにしてもらえるのはもっと親しい間柄(彼氏とか、死別前に頻繁にLINEしていた人)の人だけみたいだった。私は1ヶ月くらい不登校になったし、そもそもあまりに深く傷つきすぎていて家にも居たくなかった。祖父母の家に避難して勉強するでもなく一日中ボーッとしていた。夜も寝られなかった。作業のように東海オンエアを一日中見ていたけど何も脳ミソには入っていなかったと思う。
 とにかく現実逃避をしていたのだけれど、受験もあと1ヶ月というところまで近づいて(AO2
期を受けるため)親も勉強もせず自暴自棄になってる娘の姿を見て不安になってか、学校に行かなければいけなくなった。でもやっぱり、いつも通り生活してる学校の風景を見たくなくて、軽快な口調の先生たちを見たくなくて、笑ってる生徒を見たくなくて保健室に行くようになった。私はもともとメンタルを病みしいな生徒だったから、別段実生活や体調に支障がなくても保健室にツキイチくらいで行っていた。今回もサボりだと思われたのか結構厳しいことを言われた。私と同じくらいの彼女との間柄の子はみんな頑張って授業に出ていて、屋上に続く非常階段で寒いなか一日中過ごしていたり、理科室前のパズルで遊んでいたのは私だけだった。
 その様子を人気者の先生に見つかって咎められたりした。その先生はその後、私が過度に生徒と馴れ馴れしい上に口も悪い先生の化学の授業を受けるのが嫌で、「◯◯さんと授業を受けても良いですか。」と言いに行った時ものすごい勢いでキレた。お気に入りの生徒には優しいのに(死んじゃった彼女らにも)、私にはなぜか厳しかった。(今思えば学校の対応が相当悪いと思う。友達が死んでしまったら勉強どころじゃない。家にも学校にも居場所がなかったから自分を守るためにサボっていたのにそれを責めるなんておかしい。助けないくせに追い討ちをかけてきておかしい。)
 その先生はさらにその後日一人で鶴見駅で泣きながら突っ立ってる私を見てまたさらに怒った。(なんで?)この日はあともう少しで線路に身を投げるところだった日だ。自分が死んで周りの人が苦しむところを想像して泣いていたところを見つかった。本当に嫌い。なんで私の大好きな友達はあの先生のこと好きだったんだろう。

 まあいい、とりあえずそんな時期のことだ。この頃は自分の生きてた世界が一旦滅亡してしまった気分になっていたため小学生~高校生で熱心に聞いていたゲスを聞けなくなってしまった。でもやっぱり音楽を聞くのが好きだから、なんとなく相対性理論を聞いていた。死んだ彼女が相対性理論を好きだった。辛かったけど理論のゆるゆるした感じからなんとなく聞けた。(この頃に死んだ僕の彼女にも出会っていて、バンド名が不快すぎて吐きそうだった。)youtubeのオススメでマスドレに出会った。neworderのはじめのギターを聞いたときに、たった一秒聞いただけで「私はこの曲を何年も好くんだろうな」という予感がした。何か新しい世界線を見た気がした。続けて何回も聞いた。なんでそんなに気に入ったのか分からなかった。高校生までの私はギターの音が好きじゃなかった。バンドのベースやキーボードに注目して聞いていた。(今思えばだからゲスが好きだったのだ。)それ以来、マスドレは唯一聞ける音楽になった。マスドレを聞いてるときだけは「今は笑うことも笑う人を見ることもできなかったけど、いつか明るくなれる」というような気がした。祈るみたいにマスドレの「new order」と「青い、濃い、橙色の日」と「sugar」を聞いていた。歌詞に共感する部分があったわけでもない、曲がめちゃくちゃ元の趣味にあっていたわけでもない。斜めに刺してくる場違いなくらい呑気な秋の日光を見ながら、悲しさや喪失感、非現実的な感覚のせいでぼんやりした頭にひたすらマスドレを流し込んだ。奈津子さんの歌声は、唯一私を内側から助けてくれる存在だった。味方だった。現実には居ないものだった。あの頃の周りの世界は現実じゃないみたいだった。時間がどうしようもないくらいゆっくり進んでちっとも進んでくれなかった。

 大学に入って、まだそれでも笑えない、楽しい人を見れない感情が続いていた。新学期はお祝いムードだし、大学生活の友達作りなどにとても重要な時期なので、周囲は派手に明るく騒がしかった。一人で塞ぎこみたかったわけではなくて、どちらかと言えば早く打ち明けられるような人を見つけたかった。学科に居て、それもなんとなく無理そうだなと思った。軽音部に行った。軽音部は四団体に分かれていてその一つの勧誘の雰囲気がなんとなく居心地良かった。先輩たちは「新入生だから」とかじゃなくて私っていう人間にほんのちょっとでも興味があるような人たちな気がした。どうしてそう感じたのかは思い出せない。家に帰っても一人だしやることもないのでその部室によく行くようになった。あんまり喋らなかったと思う。今思い返せば、まだまだ傷が癒えてない時期だったのだ。居着いて、その部室の壁にマスドレのセトリが張ってあることに気付いた。「あっ!」と思った。興奮してその紙のことを喋ったけれどたまたまマスドレ好きな人が今のアステロにはあんまりいなかった。入部して「何かコピーしたいバンドある?」と聞かれ、「マスドレがしたいです」と言ったのをよく覚えています。


以上が私とマスドレの出会いです。面白いなと思うのは、ゆきのがナンバガと出会った時期と私がマスドレと出会った時期が同じくらいなんじゃないのかなっていうところ。他の人の好きなバンドと出会った経緯なども知ったら面白いんだろうな~。マスドレは曲によって結構差があるけど今でも大好き。私がアステロイズに入ったきっかけでもあるから本当にいっぱい助けられてるな~。



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