私が不登校になった理由

小学生の時は、1度も不登校になりませんでした。学校は休んではいけないところだと思ってたから。今よりもっと家庭環境がクソで、いじめられてたのに不登校にならないなんて、尊敬します。まあそのせいで病気になっちゃうんですけどね。

〜中学の場合〜

中学は2回、不登校になりました。

1回目は中学2年の時だったかな?3年になりたての時だったかもしれない。学校の友達が大好きでした。大好きだったからこそ嫌われるのが怖くて、自分からなかなか話しかけられず、あっちから話しかけられても、上手く話せないようなことが続いて、短い間ですが不登校になりました。

母親に「学校行きたくない」と言っても、「頑張りなさい」としか言われず、「ママは何も分かってくれない」と何度も言ってた覚えがあります。

2回目は中学3年の、受験勉強で忙しい時期。

なぜだか分かりませんが、学校に行くと涙が出るようになりました。学校を10回休むと、受けたい高校に行けなくなると担任の先生から聞いて、「すぐ帰ってもいいから、とりあえず学校においで」と言われて、遅刻と早退を繰り返していました。担任の先生には本当にお世話になりました。

いっその事、鬱病になって罪悪感を感じずに休みたいと思っていましたが、1ヶ月くらい経って段々と調子が良くなってきて、学校にも行けるようになりました。

無理をしなかったのが良かったのだと思います。

〜高校の場合〜

高校も2回、不登校になりました。

1回目は高校1年の秋か冬。愛に飢えていた私は、当時付き合っていた彼氏(前記事に書いたIさん)に依存していて、Iさんがいなくなったら、私は死のうと思っていたくらい。

ある日、Iさんから1日中LINEの返事が来なくて、Iさんが死んでしまったのかもしれないと思うと不安で仕方なく、学校を休みました。死ぬほど心配したのに、「疲れて寝てた」って返ってきた時は、心配した時間を返せと思いましたが。

IさんはあまりLINEの返事がマメな人ではなかったので、学校にいる間も、友達と一緒にいる間も、頭の中はIさんのことばかり。休み時間になっては、LINEの返事が来てないか、携帯をチェックしていました。Iさんと付き合ってから、友達から「なんか変わったね」って言われるくらい、私は元気が無くなっていました。

どんどん鬱状態になり、学校を休むようになります。学校を辞めたいとまで思うようになりました。辞めれば、IさんとのLINEに集中出来るし、Iさんに「学校辞めるかもしれない」と言ったら、「そしたら養ってあげるから一緒に住もう」と言われたので。

高校に受かった時、1番喜んでくれた父親に、「学校を辞めたい」と電話で伝えると、泣かれました。父親の様子が本当におかしくて、私よりも鬱っぽくなっているようでした。その時に初めて、私はとんでもないことをしようとしていたんだなと気付きました。その日から、父親の為にも頑張って学校に行くようになり、いつの間にか鬱状態は無くなっていました。

2回目は、高校2年の冬。今思えば、毎年、冬に鬱っぽくなっているので、冬季うつになっていたんだと思います。

冬休みが終わり、始業式当日。驚くほど学校に行きたくないと思いました。Twitterで「学校に行きたくない」とめちゃくちゃ呟いてた記憶があります。長期休みは暇なので、長期休みが終わってすぐは、いつも学校に行きたくなるはずなのですが、今回はそうはならなかったので、変だなと思いましたが、あまり深くは考えませんでした。

週1で学校を休むようになります。冬休み前は、1日休んだだけで(土日は別)疲れが吹き飛んで、学校に行けるようになるのですが、全然そうならないので、おかしいと思いました。週1から2、3とどんどん休む回数が増えるようになります。

この時、本当に学校が大っ嫌いでした。学校=牢屋だと思っていたくらい。学校に関する全てのもの、カバン、教科書、制服が部屋にあると、落ち着かないし、大っ嫌いな学校の為に早寝早起きするのすら嫌でした。学校にいない間でも、学校に行きたくない、と学校のことを考えているので、これはもう学校に恋していたんでしょうねえ(?)

学校のストレスを発散する為に、家でよくゲームをするようになりますが、親に「ゲームばっかりするのやめなさい」と怒られるので、ストレス発散するどころか、溜まっていく一方。

友達と話すことすら面倒になって、1人で行動するようにしていたら、私によく話しかけてきてくれてた子が「なんやコイツ」と思ったのか、私を空気扱いするようになりました。ストレスだらけ。

学校がある日は、疲れているはずなのに眠れなくなり、やっと眠れても途中覚醒、早朝覚醒。学校にいる時は、よく偏頭痛が起こるようになり、授業が全く頭に入ってこなくなり、生理でもないのに些細なことでイライラするようになり、私はついに不登校になりました。

担任と母親は、私をなんとか学校に行かせようとしていました。

「本当にしんどくなったら早退してもいいから、とりあえず学校においで」と担任。もう学校に行く前からしんどいです。

「頑張れ」と担任と母親。もう十分頑張りました。頑張った結果がこれです。

母親は、私を学校に行かせるために、心療内科に連れていきました。母親は心療内科をカウンセリングと勘違いしているようでした。

心療内科に行ったって学校には行けないよ!と思いましたが、母親が「行け」とうるさいので、仕方なく心療内科に行きました。学校に行きたくない理由、学校に行くと起こる偏頭痛や不眠について話をすると、「鬱病ですね」と先生。

鬱病と診断された時は嬉しかったです。何故なら、私が鬱病だと分かれば、学校に行けないのは仕方がないと、担任と母親が思ってくれると思ったから。でも母親は先生に「どうしたらヒステリックメンヘラは学校に行けますか」と言っていました。それを聞いた先生は「鬱病なのに、学校には行けません。今は休ませてあげてください」と怒っていました。先生は私の事を「今までよく頑張りました」と褒めてくれ、やっと誰かに頑張りを認めてもらえたと、嬉しくて私、号泣。

父親に「鬱病だと診断された」と伝えたら、めちゃくちゃ心配されました。高校1年の時に、私が「学校を辞める」と言った時、泣きながら反対されたので、なんて言われるか不安だったのですが、「無理して学校行くことないよ」と言ってくれたので、安心しました。

最終的に、全日制高校から通信制高校に転入する事になります。

これが、私が不登校になった理由です。

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