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近田春夫 & ビブラストーン : Vibra is Back

最近、近田春夫 の自伝『調子悪くてあたりまえ 近田春夫自伝』(21年1月)を読み興奮し、十数年振りに 近田春夫 & ビブラストーン の 1st アルバム『Vibra is Back』(89年)を聴き返してみることに。

自伝って余程本人のことが好きでなければ読むことはないと思いますが、私は 近田春夫 のファンというにはほど遠く、ビブラストーン以外の作品をまともに聴いたことがありません。が、偶々本屋でこの自伝が目に止まり、何の気なしに立ち読みしたところ、無類に面白く思わず買ってしまいました。。

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文字通り彼の半生を振り返る内容ではあるのですが、近田 の人脈の広さと節操ないほどの興味対象範囲の広さから描かれる数々のエピソードは、結果として日本のポップ・ミュージック史を物語る内容ともなっており、楽しくかつその情報量の多さに圧倒される。

慶應義塾 幼稚舎〜普通部〜高等学校と進学、学生時代に雑誌『an・an』の編集部で働き、21歳で 内田 裕也 のバンドに在籍(キーボード)、26歳ラジオ『オールナイト・ニッポン』のパーソナリティ、28歳ソロ・アルバム『天然の美』でアレンジ・演奏に結成直後の YMO を起用、30歳の時にバンド「人種熱」と併合して 近田春夫&ビブラトーンズ 結成、35歳ヒップホップ専門レーベルBPMを設立、41歳TV番組『浅草橋ヤング洋品店』レギュラー出演(番組初期)、その後ゴアトランスやテクノトランスに没入、と逸話のオンパレード。挙げ句の果てには二度にわたる癌との戦いまで。

一つ一つのエピソードは飄々とした語り口で綴られてますが、出てくる登場人物たちはいずれも著名な芸能関係者(財界人)ばかりでとにかく刺激的。
彼は執着しない質のようで、ヒト・モノ・カネいずれも特定のモノに固執することなく多方面にアンテナを張ることで尋常でないコネクションを築き上げることが出来たのでしょう。

エネルギッシュという表現は 近田春夫 には似合わない気がしますが、一見何の脈絡もなく無節操とさえも言える、目まぐるしく述べられるエピソード群は彼のバイタルが生んだものに違いない。

と前置きが長くなりましたが、いよいよ本題へ。

89年リリース当時はSFC音楽出版株式会社(現 株式会社ウルトラ・ヴァイヴ)が運営するインディペンデント・レーベル「ソリッドレコード」より発売。

いかにもチープなジャケットですが、それに反しその中身は濃過ぎる・熱過ぎるほどのエネルギーを有した熱血アルバム。過去ログでも紹介してますが、あらためてのレビュー。

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と言いつつ、バンド名がややこしいので整理しときます。
ビブラトーンズ (VIBRATONES, 81年-84年) と ビブラストーン (VIBRASTONE, 87年-96年) という2つの名称のバンドがありますが、近田 と 岡田陽助(ギター) を除くメンバーは異なっており、別のバンド。
今回紹介するのは後者 ビブラストーン (VIBRASTONE) の 1st アルバム。

自伝によれば「みんなの勘違いを誘ったら面白いかなというひねくれた思い」と「スライ&ザ・ファミリー・ストーンへのリスペクトも込めて」いるのだそうな。この軽いノリと思い立ったら直ぐに実行するのが 近田 らしいかと。

バンド結成は87年。その前年にアメリカのヒップホップ映画『Krush Groove』(85年)を見た 近田 が天啓を受け日本語ラップを始め、ネクスト・ステップとしてバンド編成で2MCのヒップホップを演るというもの。
1st アルバムから総勢10名(2MC + 2ギター + ベース/ドラム/パーカッション + 3ホーンズ)による大所帯でまさに人力ヒップホップ・ファンク。
(奇しくもアメリカの Hip-Hop バンド The Roots も87年に結成されてる。そして The Roots は今でも活動しているのが凄い)

88年から六本木インクスティック(懐かしい!!)でマンスリーライブをスタート、それに向けて月に1曲新曲を作るペースが定着し、89年のライブから4ステージ/全7曲 61分超をカップリングしたのがこの『Vibra is Back』(全曲 作詞・作曲 近田春夫)。
すなわちデビュー・アルバムがライブ・アルバムというワケ。

ちなみに自伝には、このバンド誕生のきっかけとなった当時の担当マネージャー K の話が載っている。「この手のエピソード、日本じゃ珍しいけど、アメリカのヒップホップの業界に行ったらいっぱい転がってそうじゃん」とのこと(笑)。

と中継ぎが長くなりましたが、いよいよ本題へ。

(1)『VIBRA IS BACK』は 岡田陽助 の粘っこい16符リズム・ギターで幕を開けるインスト・ナンバー。キーボードがうっすらと鳴り、沖山優司 のベースがウネリ、OTO のクリアなギターと NOGERA のコンガが絡むファンキー・トラック。思わず体を揺らしたくなるよね。ホーンはテナー・サックス/トランペット/トロンボーンの3管で重量感もありテーマをビシッとキメてる。

楽曲が似ている訳ではないけれど、King Curtis の『Live at Fillmore West』(71年)の1曲目『Memphis Soul Stew』にも通じるツカミはOKの極グルーヴィーなオープニング。

続く (2)『NINGEN BARBECUE』ではデカイダイナミクスのホーンでブチカマされる。ウルセーッ!! 痺れるぅ!! まるで爆弾を投下するかのよう。その焼け跡の中からユラユラと立ち登る焔のごとく 岡田 のギターがリフレインされ、ユッタリとウネるベースにドカッと腰の据わったドラムがブッ太いビートを生む。OTO のギターは縦横無尽に飛び廻り、ホーンズもアツ苦しく迫り来る。カッコイー!!

「戦争反対!!」とシュプレヒコールを挙げる 近田 の歌詞はポリティカルなメッセージを発しているようだが、自伝でも述べているように物語・フィクションを描くための小道具であって、彼は全然シリアスじゃないのだ。

(3)『Hoo! Ei! Hoo!』は 近田 が 86年に President BPM を名乗り日本語ラップの12インチ・シングルを5枚リリースした時の3枚目の曲。つまりセルフ・カバーってことですね。
オリジナルは、高木完 と 藤原ヒロシ のユニット TINNIE PUNX をフィーチャーした日本語ラップで、今聴くと日本の Hip-Hop 黎明期らしいシンプルで素朴なナンバー(笑)。

で、このライブ生演奏バージョンのグルーヴはとにかく最高、近田 のラップもキレッキレでオリジナルとは別の価値観で再構築された決定版。ここで彼は「日本語はさ、英語とは構造が違って(中略)脚韻を揃えることに大した意味はない。そもそも日本の詩歌の伝統は頭韻だしさ。」と自伝で述べているように無理に韻を踏む必要などないことを証明している。

終盤の 岡田 ファンキー・ギターと OTO ディストーション・ギターの掛け合わせが実にスリリングで、最後にホーンが入ってきて大団円を迎える。バンド編成でヒップホップをやるというコンセプトを見事に昇華・体現している。
Youtube 見てたら YOU THE ROCK★ がカバーしてるのね。

(4)『YADA』は Cameo を彷彿とさせるファンク・ナンバー。スラップを効かせたドファンクなベースに、ピッキング・ハーモニクスをペダル・ノート的に連呼するギター & ディストーション・ギターをバックにクダラナイ歌詞をクダ巻いて力説する2MC。ある種のハードコア・ファンクです(笑)。

「先に頼んだのは僕じゃないか どうして あそこの席に運んじゃうの」
「何であいつが僕のトーストを旨そうに喰ってるわけ」

ググってたら、96年に SMAP が『シャンプー3つ』という曲で同じようなことを唄っていると指摘している人がいらっしゃいました。
「こみあったラーメン屋でやっと来ましたチャーシューメン」
「横のオジサンが怒る オレの方が先だよえ?」

(5)『HEAVY』はネットリしたベースがマイ・フェイバリット。これも President BPM 名義で最初で最後のフルアルバム『HEAVY』(87年)に収録されたアルバム・タイトル・ナンバー。

今聴くと Dr.Dre のGファンクっぽいコード進行で、彼の 1st アルバム『The Chronic』のリリースが92年ということを考えると時代を先取りしていたとも言える(偶々だと思うけど)。
ライブではまさにGファンク直系 Snoop Doggy Dogg さながらのズブズブ・シンセ・ベースでよりヘヴィーに演っているものもあるね。

リリックが意外にシリアスで、近田 と Dr.Tommy の2MCがフックでは殆どR&B風にコーラスで唄っていてアルバム中最もメロディアスなライン。
「いつだってひとりだと思うんだ でも平気だと思うんだ」
「どしても素面じゃ生きていけない」

(6)『WABI SABI』はアルバム随一のノリノリ・チューン。ブッ太く弾むベースと転がるコンガにエッジの効いたギターで、Go-Go ファンクとは少し違うけどパーティーな雰囲気でイケイケ絶好調 !!

これもバカバカしい歌詞ですがメンバー総出の「無理だ」のコール&レスポンスがまったくもってサイコーなんすね。
「侘しさからの逃避は 君の住んでる部屋じゃ」
「無理だ」「無理だ」「無理だ」「無理だ」「無理だ」「無理だ」

そして中盤のホーン & ギター・ソロを挟んで3コーラス目のギター・ワークがめちゃめちゃカッコイイのよ。

マキシシングル『フーディスト村』(92年)に別ライブ・バージョン(91年9月ライブ)が収録されていてコレも必聴。かなりBPMが上がってタイトなビートになっていて、冒頭の走り込んでくるキーボードからいきなりアドレナリンが出ちゃうよね。

ラストの (7)『NASU-KYURI』は (6) からのメドレーになっていてシームレスに雪崩れ込んでゆくのがライブならでは。これも President BPM の2枚目の12インチ・シングル曲で、TINNIE PUNX のデビュー・シングルでもある。

James Brown 『Sex Machine』(70年)のようなカッティング・ギターをリフレインするアレンジになっていて、別に似ているワケではないけど、2MC で自らもキーボードを弾くというのが同じだったりする。

久し振りに聞くと 近田 と Dr.Tommy の絡み具合が絶妙なことを発見。昔はあまり好きではなかったのですが、これはこれでイイね。


いやぁ〜アツくなりますねぇ〜。やはりライブならではの高揚感はスタジオ盤とは全く違うものですね。
事実、このインディーズ・アルバムをきっかけにメジャーと契約し3枚のスタジオ・アルバム(とベスト盤1枚)をリリースしますが、この1枚目のコーフンにはかなわず、2枚目以降はそれほど聴いてません。

と、調べてたら2019年に再発されてるのですね。しかもディスクユニオンではオリジナル特典”CDR”付 (ライブ音源(未発表)1曲収録)とありました。う〜ん、欲しかったな。。。


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