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その正義は、どこから来てるのか。

最近、すごく引っかかっていて、気をつけたいなと思っているのは、自分の中で芽生える 「正義」がどこから来ているのかということ。

世の中の動きに意見したり、問題を指摘することがSNSでできるようになって、民主化がネット上で加速しているなって思う。その動きはとても凄いこと。沢山の問題を、異なる価値観を持った人達が色々考えて、世の中に問うことで、気づかされることが多い。

そのおかげで、色んな考えを吸収できる。なんだけど...なんかちょっと引っかかることがある。それは、確かに言っていることはその通りだと思うし、否定はしないんだけど、その 「正義」からはネガディブさしか感じられないんだけど...っていう「正義」の主張が多い気がしてる。

それがね、不思議だった。「正義」のことを語っているのに、その文字からは全然、「正義」のようなエネルギーが感じられない!何でだろう。って思ってた。

そして、自分も、これこそ正義だと思ったことををツイッターなんかにぶつけてみるけど、何か良い気持ちがしない。

なんか、「正義」を主張している方が、だんだんと性格の悪い自分になる気がして辛くなる。

それで、そもそも私のしてることは「正義」かと自問した。そんな気分の悪くなる正義って正義なの?

そうぼんやりと考え続けて、ネガディブな感情から湧き出てくる歪んだ気持ちがたまに「正義」になりすまして出てくるのかなって気づいた。

悲しいことから、怒りや、憎しみが生まれるのは仕方ない。

でも、そういうぶつけようのない気持ちを変な方向に使いそうになる。自分と同じ意見を持つ人には好印象を抱き、反対に違う意見を持つ人に対しては、考えを改めるべきなんじゃないか、と思ってしまう。そして、自分の「正義」を持ってして人の知性や品性を測ろうとしたり...

そういう感覚が自分の中にあって、すんごい気持ちが悪かった。そして「正義」を語りながらジャッジする感覚に気持ちが悪いって感じていたということをやっと分かった。
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人をジャッジしようとしたり、誰かを唸らせようとして、考えたり、主張したりするのは全然 「正義」じゃない。そういう歪みから出てくるエネルギーは全然別物だよね。本物と全く違う。

私もよく間違える。本物とは全然違う「正義」を振りかざしてたりする。

でも最近、自分の中の本物か偽物かの見分け方が少しわかった。自分が主張したり、文章を書いた時に、後で気分が悪くなったら、たぶんそれは歪んだところから出てきたやつかも。それでちょいちょい取り消してる。

私の場合、ネガディブなところから生み出された文章は全然ダメ。そして、後から気持ち悪くなる。全然晴れやかな気持ちになることない。

そして、その判断は人の書いた文でも分かると思う。なんとなくだけど。頭では納得するけど、感受性で読んだ時に何か抵抗がある時、少しだけその「正義」はどこから来ているの考えてみると良いんじゃないかな。

全く自分とは意見が違っても、正反対でも、涙が出るほど揺さぶられる文章を読んだり、スピーチを聞いたりすることがある。そういう経験は多くの人にもあると思うんだけど、それはちゃんとその人の本物の部分から出てきた本物のエネルギーが伝わってくるんだと思う💗

おしまい。

ちょっと、感覚的なことを書きすぎた。感覚的なことって、エネルギーとか、そういう言葉でしか表していけないから難しい。だからこそ文章にしたくなるのだろうけど。
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2019/07/21

HINAKO

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