見出し画像

日記3年目突入 自分の人生と死生観を感じるための習慣。

めちゃめちゃ溜めたりすることもあるけど、なんだかんだ続けられているから日記が3年目に突入しました

始めたきっかけは、もし自分が急に突発的な死を迎えたら、どうしよう。大切な人たちに想いを伝えないまま死んでしまったらどうしようと思ったことだったみたい笑 (『君の膵臓をたべたい』を読んで不安になったから日記始める!と最初の日に書いていた)

何かあれば遺書になってくれたらいいなと始め、ここまで続けられると思っていなかった日記だったけど、なんとなく続いてた!

別に大したことは書いていないけど、ただ、2年間も続けたものがあるって嬉しいなと思う。続けられてるってちょっと自信つくよね。

毎日が積もっていく日記。2年前の今日、1年前の今日を知れる。その当時の自分にとっては全然変わり映えのない日常でも、今振り返ると、貴重な時間だったんだなとか、よく頑張ったなと過去の自分を肯定できる気がする。

1年前の自分のいる環境、考え、気持ちが今の自分と全然違ってて面白かったり、少しは私も成長しているんだなって思ったり。

過去を捉え直すことってある程度時間が経ったからこそできるもので、あの時の苦悩のおかげ今があるとか、あの時のあの出来事があったから、また新しい人と出会えたんだとか。

よく言われるような「点と点が繋がって線になる」ということを実感してて、日記を通して人生を感じている。

だから、私は日記には赤裸々き気持ちをぶつけている。 喜怒哀楽を隠さずに。その時は真剣にそういう気持ちで向き合っていたんだな〜って振り返って楽しい

日々の記録という純粋な楽しみ方もできるし、人生を感じることができるってことで、私はけっこう日記を書くことに意義を見出している

そして、きっと私のことだから、お婆ちゃんになった時、自分の人生をまとめて本でも作ろうかってなると思うの。

終活的な意味で。その時に、情報源として日記があれば本も書きやすいと思うんだよね〜。自分が読んで満足して、一緒に火葬なり埋めるなりしてもらう!それで、何冊かは子孫へ的な。そして、死後何百年後くらいにその本が見つかって、ふむふむ平成、令和時代の女性ってこんか風に生きていたのだな、ふむふむって未来の人が思ってくれたら嬉しい!博物館に置かれてたら凄いよね?

自分の妄想で大分興奮してしまった。

うん、私にとって日記って私の人生を眺めるって意味でも、
死生観にとっても重要なツールっぽい
これからも続けてこ〜

ちなみに、2年前の今日、私は留学先のスウェーデンの協会で聖歌を聞いたみたいだけど、つまらなくて抜けて来たんだと。だけど、1年前の今日は入りたての合唱サークルの合宿で、聖歌歌ってたんだとさ笑 .
月日がらもたらすものって愉快だこと。

おしまい。

画像1

2019/08/21
HINAKO

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?