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子どもと性的虐待、犯人の特性とは

記事作成 内田 百合香             編集協力 高橋 ひかり


・「ひととひと」を作った経緯と私について

私は幼少期に何度か性被害に遭っていたものの、高校1年生までは「普通の女の子」だった気がする。
普通に勉強をして、普通に恋をして、普通に部活をして。そして美大を目指すようになり、美術予備校に通いだした頃だった。それとは別に、絵の先生をしてくれるという知り合いがおり、その人にも美術を教えてもらうことになった。
その人は私のことをとても可愛がってくれた。「君を立派な画家にしてあげよう。」「僕にも子供がいたら、君くらいの年齢だったんだろうな。」と、言われたことを覚えている。
私は「生徒として、彼から愛情をもって接してもらっている」と、そう感じていた。
しかし、次第にその関係は私の勘違いだったということに気づく。彼が帰り際、私にハグをしてくるようになったのだ。
私は「ちょっとこれはおかしい」「これっていいのかな」「なんか怖い、どうしよう」と戸惑ったものの「生徒と先生との関係からくる愛情表現なんだ、きっとそうだ。」と自分に言い聞かせて、その場を済ませ、不安な気持ちを紛らわせていた。
今思えば、その時「嫌だ」と勇気を振り絞って言うべきだったと思う。
そこからどんどん関係はおかしくなっていく。
「ご飯をおごってあげた代わりにキスさせて」、「君とセックスがしたいと思ってる」、「君はもう僕のことが好きだからこれから毎週来なさい」、「僕は君にフェラチオをさせなかった、だからこれはレイプではないんだよ」、「君は体で授業料を払っていると思っていればいいんだ」、「関係を切るなら今までの授業料を全額払ってもらう、一千万くらいするよ?」。
全部私が言われた言葉である。

私は汚れてしまったと思った。もうお嫁にいけないと思った。誰にも相談できず、親にも心配をかけたくなかったので言わなかった。
「性的対象」として見られていたことの絶望感、「どうすればいいか分らない」、「怒らせたら殺されるかもしれない」という恐怖。そんなことを毎日感じるようになっていった。
このつらい出来事を、なんという言葉で表せばいいのか。それがずっと分からなかった。

被害にあって何年後か、たまたまつけていたTVから流れてきた性犯罪のニュースに私はびっくりした。
その事件の加害者は教師、被害者は生徒で、生徒は「嫌だったけど、怖くて言えなかった」という。

あれ、何だこれ、私だ。なんで、どうして、同じだ。この子私と一緒だ。じゃあ、私のあのつらかったことも、犯罪だったの?

そう気づいた時、物凄い恐怖を感じた。知らない間に自分が犯罪に巻き込まれていたことに気づき、たくさんのフラッシュバックが起こった。私はしばらくパニックになり、どんどん体調を崩していった。
「死ぬか、精神科に行くか、どちらかにさせてほしい」と親に伝え、精神科に一緒に行くことになった。

今、私は29歳になった。
被害にあった頃から10年以上たった今でも心療内科に通い、薬を飲み、それでも突然起きるフラッシュバックに苦しんでいる。

そんな時、工藤さんや神谷さんに会い、彼女たちも性被害に遭っていたことを知った。
彼女たちの体験や、望まなくても耳に入ってくる性被害の数々を知るたびに、「美術の業界にも、性被害はずっと存在し続けているのだ」と意識するようになった。
だとすれば、私たちが経験してきた「個人的な体験」は、もはや個人だけで語られることではなく、もっと大きな「社会の問題」として語られるべきものなのではないか?「おかしい」と思うことを、素直に「おかしい」と言うべきではないのか?と考えるようになった。

自分自身が「おかしい」と思うことを「おかしい」と言うためには、同時に、社会全体が「おかしい」と判断する基準を知ることも必要だ。そうすることで、「個人的な性被害の体験」を「犯罪」として訴えられる可能性が高くなる。性犯罪の法律を知っていれば、性被害の体験を一人で抱えたままにしないで済むかもしれないのだ。
 「ひととひと」の活動を始めた今、私たちが法律にどのように守られているのか(守られていないのか)を改めて知ることが、ひいては美術界を含めた日本社会で性被害が発生し続けている理由を考えることに繋がるのではないかと思った。

そして、被害体験の告白を通じて、性犯罪が繰り返されてきた歴史と、その延長線上にある現在、未だ存在しないことにされている様々な問題を明らかにすること。そして、こうした活動を作品制作に応用し、言葉ではない手段で表現していくこと。
これが、私たちの存在の証明になる。美術には、無いと思われているものをそこに存在させることができる力があると、私は信じている。

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・児童虐待防止法の定義・分類・問題点


児童虐待防止法は、「虐待によって児童の成長や人格形成に悪影響を及ぼすことを防止する」ために、2000年5月に公布、11月に施行された法律である。ここで言う「虐待」とはそもそも、同法律において、保護者が監護する児童(18歳に満たない者を言う)に対し、次に挙げる行為をさし、そのひとつである性的虐待は「児童にわいせつな行為をすること、または児童をしてわいせつな行為をさせること」と定義されている。

虐待の分類は以下の4つである。

1.身体への暴行

2.児童へのわいせつ行為と、わいせつ行為をさせること

3.心身の正常な発達を妨げる減食・長時間の放置

4.保護者以外の同居人による前記の行為とその行為を保護者が放置すること

5.著しい暴言・拒絶対応。

著しい心理的外傷を与える言動を行うこと「近親相姦」という言葉もあるように、性的虐待は昔から存在していた行為ではあるが、家庭内の見えない部分で起こるため、発見がとても困難と言われている。(注1)これは例えば、23年度の児童相談所における相談件数は身体的虐待が36.6%、次にネグレクトが31.5%、心理的虐待が29.5%で性的虐待が他に比べ2.4%ととても低い(注2)ことと無関係ではないのではないか。なぜなら、性的虐待は外傷ではなく心的外傷であるために第三者からは発見されにくいこと、そして被害者とその家族も沈黙を守ろうとするため発見が遅れたり、うやむやになったりして、発見が遅れると考えられるからである。また、性的虐待に分類されるのは子供への性的虐待や性的行為や性器を触る触らせるなどといった行為だけではなく、 子供に性器を見せることや、子供をポルノグラフティの被写体にすることもあてはまる。他にも、被虐待者の前でマスターベーションなどの性行動をしたり、性器を見せつけること、子供をポルノ写真・映像の対象にすること、子供に過度に露出した服を着せることなどが性的虐待にあてはまる。(注3)

このように、接触のない性的虐待に当てはまる行為は実に多く、ゆえに被害を主張・立証することが難しいと考えられる。記事を書いている今も、もし自分が子どもだった頃に突然、こうした性的虐待事件に巻き込まれたとして、果たして「助けて」と瞬時に誰かに助けを求められるだろうか、「こんなことがあった」と素直に説明できるだろうか、と思わずにはいられない。

当日の発表でも、性暴力を「個人的な性被害の体験」として抱えたままにしてしまう人が多いのではないかという指摘がメンバーから挙がっていた。さまざまな手段や状況、対象によって、児童が精神的・身体的な性的虐待を受ける危険性がある一方、現在の法律のもとでは、こうした被害が明るみになることが少ないと言えるのではないだろうか。また、ここで注目したいのは、これまでみてきた同法の条文に使われている「わいせつ」という言葉の定義の曖昧さだ。広辞苑には「性的にいやらしく淫らなこと」、また大辞泉には「いたずらに人の性を刺激し正常な羞恥心を害して善良な性的道徳観念に反すること」となっており、法律では大辞泉の意味にあてはまる。しかし、何をもって「いやらしく淫らで性的道徳観念に反するとみなすか」は人によって大きく異なるため、客観的な判断基準による定義が不可欠であるといえる。(注1pー3)

また、こうした同法の「定義の曖昧さ」は、加害者を規定した条文についてもあてはまる。同法の最大の問題点は、児童に対する性的虐待の加害者を「保護者による」行為と限定しているところである。(注1)
にも関わらず、同法3条では「何人も、児童に対し虐待してはならない」とあるので、前述の保護者と同居人(監護人)に限定した条文の定義とは矛盾を起こしていることになる。また、この定義では保育所、学校、塾、知人宅などでの心的虐待、性的虐待、また食事を与えられないなどのネグレクト行為、繰り返される暴言や無視などは虐待とみなされないことになり、実際に被害を受けても、法律によって加害者に社会的制裁を与えることは不可能になってしまうのだ。(注1)

以上の内容を見てみても、虐待を受けている子どもにとって本来信頼できる存在であるべき大人が加害者の場合があり、子どもが助けを求めたくても求められない環境に置かれてしまっている状況がうかがえる。
そうならないためには、子どもにとって「いろいろな場に信頼できる大人」が多数いることが大切ではないかと思う。もしもその子たちが、家族をはじめ、近所や学校、学童、習い事の場などに信頼できる(話せる)大人が多数いれば、虐待のサインを出すことのできるタイミングが増えるのではないだろうか。

私は被害に遭った時、助けを求めたのは幼馴染だった。しかし、幼馴染も子どもだったためどうすることもできず、そのまま話しは終わってしまった。本来、子どもは大人に守られるべきであるので、実際は頼れる「大人」に被害を告白できるのが一番であろう。
また、通学路に「子ども110番の家」を十分に作る協力を地域に仰ぐなどして、子どもが狙われやすい通学路を安全な道に変える事も効果があるのではないかと思う。

法に関しても、やはり誰でも通報できるような環境を社会全体で作るべきであると思う。ただ、性的虐待の事件となると、どこに通報していいのか分からないパターンもあるだろう。
こうしたことを想定して、まずは地域で虐待防止研修などのワークショップなどを開催し、性的虐待に関する多くの情報を、より多くの大人へ伝える発信源として行うことが虐待防止に繋がるのではないだろうか。

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・性犯罪と加害者との関係


では、児童に対する性暴力の加害者とは一体どんな人物なのか。
参考資料(注4)によれば、なんと、実は加害者の多くは70%〜90%が子供の見知っている人であり、大半が男性であるという。
女児が被害者の場合は98%、男児が被害者の場合でも83%が男性である。
保護者による性的虐待は6%〜16%で、知らない人による性的虐待も5%〜15%、親類者による性的虐待が一番多く25%に及ぶ。子供を守ってくれるはずの人物が、加害者であることは珍しくないのである。
お互い信頼関係が成り立っていると思っていたら、実はただ性的対象として見られていたということは、どれほどまでに絶望感を味わうことになるだろう。私も実際その一人だった。
悲しくて怖くて声も出せず、体も動かなかった。今までで初めて味わう一番の絶望感であった。
児童虐待防止法で加害者として明確に定義されている保護者や監護者による事件が多いという現状は、同法が犯罪防止の抑止力になってないという、厳しい現実を示唆しているといえる。


・犯行をめぐる経緯・犯人の特徴


犯人は何を考え、どういった道のりで犯行に及ぶのだろうか。先ほど引用した資料(注3)によれば、
犯罪を犯した犯人は、罪を犯した罪悪感が少なく、事件自体を過小評価していることが多いことが、子供を対象とした犯罪の特徴の一つになっている。
犯行時間は、全体の60%〜70%が午後3時から6時の時間帯であり、下校途中や習い事の帰り、友人との遊びの時間帯に犯行に及んでいる。 
これは、大人が性暴力被害に合う夜中の0時から朝の5時と比べても対象的といえる。
また、犯行発生場所は子供たちの登下校で通りがかるマンション、公園、路上が多いことがわかっている。

本内容の発表に際して、メンバーの神谷から「性犯罪者の頭の中」という本の紹介があった。そこでは犯人が犯行を犯すまで、どういった手順を踏んでいるか、といった以下の内容が、実際に犯人からのインタビューで明らかになっている。
まずは近所、又は遠出をして辺りを物色し、ターゲットを絞る。そして、ターゲットが通っている学校のホームページをネットで確認し行事等を調べ、帰りが遅い時間帯などを把握しておく。次にターゲットの学校から家までの道のり(ルート)を調べる。さらに家のポストを漁り、家族構成を調べる。そうして、家族がいない時間、ターゲットが一人になる時を見計らって犯行に及ぶのだ。

また、犯人の年齢は、10代から30代が7割を占めている。更にほとんどの犯人は住居を持ち、なんと独身ではなく多くは配偶者や親と同居している場合が多いという。
犯人が初めて犯行を行った年齢はとても低く、平均で13〜14歳、また25%が12歳以前であると言われている。20代〜30代が犯行のピークとなり、40代になると減少していく。

一方で、露出狂は面識がない子どもを犯罪対象に選び、また同じ被害者を狙うことは少ないが、再犯率が他の性犯罪に比べても非常に高いのが特徴である 。また、露出狂を行った加害者は、その他にのぞきや痴漢行為を複数犯している場合がある。(注2)

私自身、小学2年生の頃、初めて学校から「防犯ベル」を支給された。各自ランドセルにつけるようにと言われたが、ただ一度ベルを皆で鳴らしてみただけで、その後、具体的な使用例は知らされなかった。
私たちは、普段もっと何に気を付けるべきなのか。性犯罪を犯す犯人はどういった場所に出没しやすいのか。実際に被害に遭いそうになったらどう反応を返すべきなのか。それらをもっと学ぶ時間やレクチャーが小学校低学年の時から必要なのではないか。

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・マサチューセッツ医療センターの分類例


ここで、犯人像にさらに迫るために、マサチューセッツ医療センターの子供に対する性犯罪に及ぶ犯人の分析を参照した。ここでは、以下の4つにの分類に分類分けされている。


①未熟型
成人との関係人間関係を築くことが困難であり、社会的に未熟・依存的、臆病で対人的なスキルも低い。被害者となる子供は性の対象というよりは仲良しの友人と考えており、性的な接触はその子供との関係が築かれた上で初めて行われるが、性交が行われることはほとんどない。

②退行型
社会的に問題がない人間として見え結婚していることもあるが、なんらかの失敗経験や自信喪失(性的なものも含む)のきっかけとして性的な関係を求める。これは性行を求める場合が多い。

③搾取型
反社会的なパーソナリティーを持ち、自らの性欲を満たすために子供を利用するタイプである。子供の人格に注意を払わず単なる性の対象として子供を扱い、子供誘拐して監禁、レイプを行うタイプ。

④サディスト型
反社会的なパーソナリティーを持ち、性的な動機のほかに、サディスティックな動機などを満たすために子供を誘拐・監禁して性的暴力を行う。全ての中でも最も危険性が高いと考えられており、このタイプは性犯罪者の2%以下しかないものの、子共が死亡するケースが多いので、事件が発覚するとマスコミなどで取り上げられることが多いタイプである。(注5)


・発表を終えて


この発表で見えてきた課題は、やはり私達を守ってくれるはずの法がきちんと機能していないことであると思う。
そして、傷の見えない性的虐待にとって、今ある法が最善・最良の防衛策とは言えないのが現状である。
子どもは助けてくれる大人が身近に居たとしても、被害をうまく言葉にできなかったり、恥ずかしさや失意からバレないようにと隠そうとする。そういった中で子どもの変化に気づき、異変を察知するのはいくら身近に居る大人でも容易なことではない。
私達、また子供にとって法や周りの大人たちはどうあるべきなのか、自分が大人に成長した今、傷ついた子供のころの自分にどう接するべきであるのか、今回の発表で考えるきっかけとなった。

私も実際被害をずっと親に言えなかった。
恥ずかしかったし、心配をかけてはいけないという気持ちが、自分が「助かる」という優先事項よりも前にあったからだった。

自分を犠牲にしてでも「平穏な日常」を壊してはいけない。そんな気持ちがあった。そして何よりも、両親を悲しませたくなかった。

法を犯す者の犯行を未然に防ぐためにどうするべきなのかも、今後勉強する一つの課題になっていると思う。かすかな力であるかもしれないが、私達個人個人でできる防犯というのも、勉強して身につけたいと思った。
犯行を未然に防ぐためには勇気が必要になるかもしれない。その時がいつ来てもいいように準備をすることは何だか間違っているようにも思う。本当はそういった社会ではない、もっと安全な社会であるべきはずだ。それを少しでも目指せるように、「ひととひと」ではより幅広い視野で物事を捉え、多くの問題を一つ一つ解決出来るような活動を行っていきたいと思う。



参考文献

(注1)「子どもへの性的虐待」森田ゆり/岩波新書(2008年)

(注2)「児童虐待を防止するために必要な支援-親子への支援と家族の再統合-」森田麻友/論文(2013年)

(注3)フリー百科事典ウィキぺディア(Wikipedia)「児童性的虐待」


(注4)「性犯罪者の頭の中」鈴木伸元/幻冬舎新書(2014年)

(注5)「子供に対する性犯罪に関する研究の現状と展開(1)-発生状況と犯人の特性-」越智啓太/論文(2007年)

     「子供に対する性犯罪に関する研究の現状と展開-防犯と矯正の問題-」越智啓太/論文(2007年)

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