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中欧旅行記⑥:ワルシャワ

2004年に中欧4ヶ国を旅した時の記録です。目次はこちら
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目が覚めたらコンパートメントはぼく一人になっていた。ワルシャワまでまだ数時間。トイレいこ、とコンパートメントから出ようとするとドアが開かない。ガシガシやってもダメ。ドアの隙間を覗いてみたところ、なんと外側から鍵がかかっている。

いやな予感がする。イケナイ電車に乗ってしまったのだ。このままポーランドを越えモスクワまでいき、赤の広場で自己批判(「あのとき清水くんの工作をこわしたのはぼくです!」)をさせられたあと、果ては北朝鮮の日本語教師として働くのだ。さようなら日本の皆さん、修士論文をよろしく…。

ワルシャワ到着直前に車掌さんが鍵をあけてくれた。膀胱破裂寸前。漏れたらどうするのよ。

0630ワルシャワ中央駅到着。暗い。観光に出かけるにはまだ早く、ネットスタンドと喫茶店で早朝をワルシャウ。これから仕事に向かうであろう御仁たちに混じってエスプレッソを飲み、一応のリラックス。

と、同時に気付く驚愕の事実 ─── モノが安い。ネットは45分180円、エスプレッソは150円。この物価は貧乏旅行にとって神だ。ポーランドでは存分に浪費を楽しもうじゃないか。

旧市街に向かうべく徒歩で北上する。とおりかかった無名戦士の墓では運良く衛兵の交代式が見られた。公園広場前の道を進むと新世界通りに合流する。さらに新世界通りを北上、大統領官邸を通り過ぎ、旧市街に突入。

旧市街は「うわぁ、ヨーロッパだぁ」という感じで、我ながらアホっぽい感想だが、なんだか嬉しくなってしまった。石畳の道の両脇に、空を支えるように立つ石造りの家々。アーチ型の門、等間隔に並ぶ窓、薄汚れた壁。

午前中はキュリー博物館とワルシャワ歴史博物館を訪問。前者には日本語パンフレットがあり、キュリーさんの研究活動と生涯を学ぶ。後者ではワルシャワの歴史を学ぶ。古くから辛酸を嘗めつづけ、果ては第二次大戦で破壊しつくされた街。そこからの復興と自立を知り、ワルシャワ市民に感服するばかりである。

道端で調達した昼ごはんのツナサンドが感動モノの美味さだった。タマネギ、トマト、レタス、ツナがさくさく温かいパンにはさまれており、かりかりに揚げたニンニクが香ばしいアクセント。スプライトのペットボトルが付いて200円と、値段まで感動モノ。刮目せよ、ドトール!

やはり道端で買ったアイスクリームがこれまた感動モノの美味さ。ハーゲンダッツに勝るとも劣らない濃厚な味で、お値段なんと40円。酪農王国ポーランドのアイスはデフォルトでこの味なのだろう。刮目せよ、サーティーワン!

旧市街の散歩と博物館めぐりを満喫し、散歩ついでにホテルを手配。絶好のロケーションの☆☆☆ホテルは一泊7,000円也。奮発しすぎた。レセプションのおばちゃんが温かい人だった。英語も通じたが、「ありがとう」くらいはと、ポーランド語を必死で暗記。ぢぇんくいえ、ぢぇんくいえ。

日が暮れるころ、夕食に出かけた。こぢんまりしたレストランのオープンテラス。ウェイトレスが親切な方で、ポーランドの名物料理やらオススメやらを、英語が通じないながらも会話集を見ながら一生懸命教えてくれた。ポーランド名物の豚のカツレツを注文。おいしゅうございました。じぇんくいえ。

暗いイメージを持っていたポーランドだが、この日ワルシャワを歩いてそのイメージは大きく変化した、もとい、素晴らしさを感じた。ナウでヤングな子はおしゃれでかわいいし、モノは豊富にあるし、街はきれいだ。出会った人はみんな親切だった。”旧共産国”というステレオタイプをひとしきり反省。
ただ、そこかしこに物乞いが多いのもまた事実。旧体制からの移行でひずみにはまり、貧しい生活を送っている人もたくさんいるのだ。

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