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無いものねだり 人と比較する

人と比べることがすべての嫉妬ややっかみの原因の始まりのような気がします。だって人と自分は違う人間だもの、同じはずはないのです。

顔かたちだって、背丈だって、それぞれの得意分野だって違うから面白くなっているのに、同じようになりたいといっても無理です。まったく同じような双生児兄弟だって性格や、なりたいものや好きなものは別です。

だから同じ環境で育ったら同じかといえばそれでも違ってくるのです。ライバル意識や、好敵手というと聞こえはいいですが、それでも純粋に良きライバルなどというものは現在のストレス社会では、なかなか見当たらなくなっているような気がします。


そしてそのやっかみ嫉妬の類は、結末が恐ろしいことが多いように思います。自分自身ではコントロールしているようで、できていないことが多いからです。はたから見ると鬼の形相をしていることに自分が気付かないのです。挙句、周囲を巻き込みあらんことを口叫び、結局は自分に跳ね返ってくるだけです。

比較するとき、どんな心理的な状況下かといえばおそらく、現状に満足していない心理状態を抱いていることが多いのでしょうが、そのことにも本人は気づかないことが多いようです。

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少し考えてみると、通常は自分の大切な部分を刺激されると弱いような気がします。私自信の境遇を比較してみると、長い間パートナーがいないこと、パートナーのいる状況が素晴らしいと思っていると、卑屈になります。とんでもないパートナーがいて、苦労づくめの人を見るとホッとして自分と同じ境遇なんだと安心します。

結婚したカップルのうち、今では30%は離婚している現状を見ると、そこまでゆくのにどれだけ苦労があったか、想像できます。子供がいればなおさらです。我慢しているカップルはもっと多かろうと思います。上手に折り合いをつけ有意義に生活できているカップルはいかに少ないかということです。

古いた建物に住んでいると、新築のマンションや一戸建てに住んでいる人は羨ましいです。古いから家賃が安いんだといわれても、お金さえあれば新築に住めるとなり、親から遺産をもらったりできる人をうらやみます。しかし、プールがあっても幸せとは限らないのです。

この、人と比較するという心理状況は誰でもなるかというと、そうでもないようで、基本的には自分は自分、人は人といったスタンスを抱けるようになることで克服できるようです。

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ということは、自分にとって、これだけは!!といった自信を持つことであるかと思います。仕事でも、趣味でも何でもいいですが、生活の中に自信を持つことに限るのではないでしょうか。趣味はあるけど、という人もいると思いますが、それでは言い方を変えると、やはり教養を重ねて自己研鑽を積み、人間が大きくなるしかないようです。

書物を書いているような人は大方勉学にいそしみ、結構な教養を身に着けておられることが多いような気がしますが、スポーツに長年いそしみ、経験を積むことで、自分の限界が広がり徐々に人間が成長を続け、至福といった感情に代わってゆく人は結構おおいような気がします。

そういった立派な方々だけでなく切手の収集や、音楽や器楽に精魂傾けたような人なども素晴らしい自信を身に着けていることでしょう。そのようなよき他人の経験や、感性に寄り添うことといえばどうでしょうか、心身が洗われる感動などする機会はあるかと思います。

結局自分のきいたり見たりすることの限界を打破し、違った目で外の景色をのぞいてみる、経験してみる、といった作業を積み重ねた末には、人と比較したり、うらやんだり、嫉妬するといった後ろ向きの姿勢はだんだん減ってくるのではないでしょうか。私は、俺はこれを誇りにするというものがあると、人間自身の味が変わってきます。

自分は何とも思っていなくても、自己研鑽の中に自分が気付かない新しい自分を生み出し、生きやすい人生が待っていてくれると信じたい、と思うこの頃です。

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