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ハラリ氏のホモサピエンス 全史

サピエンス全史は読んでいて、ワクワク感が溢れてくる。内容は宇宙のビックバン発生から始まるので、中々難しい内容かと思いきや、読めば読むほど面白くなる。私にも理解できる内容となっているので、時間を忘れて読み耽ってしまった。想像を超えるほど長い時間の中で人類は、幸福になったのだろうか。

ある意味繁栄をしているかに思う。それは幸福といえるのだろうか。現在のイスラエルは安心して住みやすい環境とは言い難い。そこに暮らし思案を深めているハラリ氏は、何よりすごいことに思える。

さらに未来はどのように展開してゆくというのだろうかと問う。この作者は歴史学者だという。
おそらく、「文明の構造と人類の幸福」というタイトル通り、最終的に伝えたいことは、人の幸せ感について、多角的に考えてみようといいたいのではないかなと、私は思った。

この書物の中で、ハラリ氏が時々我々の身近にいる犬や、消費社会によって犠牲になっている家畜のことに触れている事が、彼をとても身近に感じさせる。

ホモサピエンス は、7万年前から3万年ほど前ネアンデルタール人が滅びた後の地球上で唯一の人類となった。

そののち、おそらく1万5000年前頃、すでに人は犬を家畜として飼い始めたらしい。それは、残された人間の遺骨の中から見つける事ができると言う。必ず犬の遺骨も人間のものと同列に丁重に扱われているという。現在でも人と犬は切ってもきれないほどの愛情と理解を持っているが、農耕生活中の当時から既に他のどんな動物よりも、強い絆が築かれていたらしい。

一方、家畜として現在我々の食用に寄与している鶏や豚、牛については、おそらく広い原野に生息していたら、いにか自由で幸せであっただろうとか、社会的な欲求があったろうにとか、心理的欲求については人間が全く無関心である事を書いている。

「家畜は今や機械化され大量生産ラインに乗せられた歯車である。」

彼らの運命は歯車そのもの、彼らにもあるだろう社会的欲求、心理的欲求は一切考慮さられずに企業の損益によってのみ、左右される。
えさを与えられ、自然的活動など一切できない。母親と一緒に居たいとか、広い野原で遊びたいとか言ったことは、彼らにはまるでないのだ。

豚は知能の高い動物であり、それは大型類人猿に匹敵するらしいが、狭い中で子を産み、年中同じ姿勢で同じ場所にとどまり、位置を変えることすらできない狭い折の中で一生を生きる。

乳牛も同じだ。餌とホルモン剤と薬剤を与えられ数時間ごとに搾乳される。

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以上のことは人間至上主義という宗教によって決められ、おそらく自然界であれば広い野原を子供通しで遊び、母親に寄り添い生きることは野生時代にすでに取得した本能なのに違いないだろうに、ほとんどの人間はそのことに無関心で、彼らの運命について考える人はほどんといない。多少は気の毒だと思う人々もいるのだろうが、思ったところで彼らを解放してやろうと行動を起こす人は皆無だ。


人類の幸福を追い求めた現代社会は、そのような鳥、マウス、家畜などの犠牲の上に築かれ、支えられてきた。多くの人が救われた医療の恩恵も多くのマウス、ひよこなどの犠牲の上に築かれてきた。

人類は地球を征服しただろう。しかし人は幸福になったのだろうか。石器時代や中世に比較すれば、よりよくなったのだろうか。

幸福度を計る・・・一般的にはより豊かで健康であればより幸せなはずだ。しかし、人間の精神的豊かさと科学の進歩度は反比例する。

医療技術の発達の恩恵で小児死亡率は劇的に減少したし、暴力の激減、飢饉、貧困、国際的な戦争も1945年以降は目立って起きていない。にもかかわらず近代の機械的進歩によって世界は冷たい世界となった。

心理学者や生物学者の主観的構成の研究では金、家族、DNAに恵まれていることが幸せの基本だろうかと問うている。
確かに言えることは人の価値感で、「生きる理由」があればよい。家族、コミュニティ、強い絆、緊密な関係、生物的な条件を交換できる相関関係で幸福度はきまる。

生き方に対する満足感は、こころの中で感じるもの。
幸せは身のうちより生ずるセロトニン、ドーパミン、オキシトシンが増加することで幸せ度は増加するという。

人類は地球を破壊し、生態系を狂わせ、多くの動植物を絶滅に追い込んだ。話題となっている地球の温暖化、気候変動は地球をより住みにくくしている。近い将来には地球は核の犠牲となり果てるかもしれぬ。

ネズミ、ゴキブリが地中から姿をのぞかせる日が来ることになるかもしれぬ、とハラリ氏は結んでいる。

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