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大学を卒業するにあたって。「知」をどのように使いたいか

4年間過ごした早稲田大学を昨日卒業した。
今日、美術館の大人1700円、大学生1000円という看板を見て切なくなった瞬間に、ちゃんと卒業を実感した。

私の大学4年間は、みんなが"良いなぁ!"と思うような楽しい絵面ではないかもしれないけれど、自分にとっては誰よりも幸せだと思える4年間になった。

人に対してではない、自分の中の"強さ"を少しでも育てられたならよかったと思う。
上手くそのまま見せることや説明することは難しいけれど、得られたもの、自分で生み出せたものもある。
「大学の勉強は無駄。大学は卒業すれば良い、名前で示せれば良い。」と発言する大人にはならなかったので、そこは安心した。
頑張っている人や、好きなことをしている人を馬鹿にするような人にはならなくて、安心した。(これからも内省していく必要はもちろんある)

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大学入学当初、私は就活生のようなどうしようもない悩みで病んだ。入学して数週間しか経っていないにも関わらず。
4.5.6月は、はっきりした形の見えないものに蝕まれていた。
新しい友達と過ごして楽しくて、一緒に夕飯を食べたりもして楽しいのに、笑顔で友人と別れて家に帰ったら、理由も分からずほぼ毎日泣いていた。

早稲田は第1志望だったし、前からすごく行きたかった大学だったし、楽しみでもあった。
それでも私を泣かせたものの種は、"違和感"として高校生の時から存在はしていた。

きっと焦りがあったのだと思う。
それまで"やるべきこと"がある程度決まっていて、それをこなせば大抵のことは上手くいった。
高校2年の時に一度、"違和感"に悩まされた。

志望の大学の合格を目指して受験勉強を頑張っていたけれど、自分の行きたい大学に行って、そしてその先自分のしたい仕事をしたとして、果たしてそれで幸せだろうか、と。

自分の望んでいることのはずなのに、目標を叶えるだけでは自分は幸せになれないことを高校2年生の時に既に感じていた。

でもその違和感を汲み取ってくれる人はなかなかいなかったし、「受かってもいないのに受かった後のことを考えるなんておかしい」と言われて、実際余裕に大学に合格できるような能力は持ち合わせていなかったから、違和感は一度置いておいて、勉強を続け大学に合格できた。

行きたかった大学だから、合格した時は本当に嬉しかった。たぶん人生でも上位に入るくらいには嬉しかった。その気持ちは嘘じゃない。

そして入学したらやっぱり自分の持っていた違和感がちゃんと大きくなって襲ってきた。

その頃の検索履歴は「毎日楽しいのに何にもしたくない」「とても幸せなのに消えたい」「理由なく涙が出る」
でも自分の感情や悩みに沿うものなんて全然出てこなかった。

あまりにも自由で、まだ自由を使いこなせなかった私は打ちのめされたのだと思う。
道具をただ与えられても、その使い方を知らないとどうにもならないことと同じだった。
「自由を楽しみのために使う」という価値観が私にとっては居心地が悪かった。
だから楽しいはずなのに、何かが違うと思い続けて、何かをしたい、一般的に楽しいことじゃなくて、自分がしたいことをしたい、落ち着けることがしたい、何かをしたい、でも分からない、何をしたら自分が落ち着けるのかが分からない、何をしたらこの心が安らぐのか分からない、こんなことなら、全部いろいろ終えて将来の答えが出ているのならば、早くおばあちゃんになりたい、答えのある世界に戻りたい、答えがないからどうすればいいか分からない

そう言いながら泣いていた。
私の母や父は、そういうことに対して何かを言う人ではなかった。
いつも、「分からないや」とか「私たちはそんなこと考えたこともないから」なんて言いながら、共感もせず、何か余計な"アドバイス"をするでもなく、ただ話を聞くだけの人だ。
だからこそ良かったのかもしれない。実際悩みを抱えている人に必要なのは"アドバイス"ではなくて、話を聞くことなのだし。

そんな"干渉しない" 良い意味で"無関心"でのんびりした家族で救われた。(重要な社会の動きに無関心なのは困るけれど)

「勉強しなさい」と言われたこともなかったし、大学に受かった時も"褒める"とかはしないでただ「良かったね」と言ってくれた。
とにかく"ブランド"や"偉いこと""良いこと"にも無関心な人たちだから救われた。

そんな環境でまだ救われたけれど、自由の海に放り出された私は、行く方向も分からず「何かをしなくちゃ」と正解を探そうとしてしまって、とにかく正解を示すものが欲しかった。正解が分かる前は動き出せなかったから、波に揺られ続けてた。

泣いてた私は何を思ったか7月に一人でカンボジアへのツアーに申し込んだ。(今思うとだいぶ単純で、批判したい気持ちになるけれど)
自由の海でとりあえず漕いでみようとふっ切れたのだと思う。

9月ツアーに行ってみて、漕いでみたら考えることが出てきて、そこから知りたいことができて、自由はこうやって使えばいいんだ、とやっと動き出した。
そこからは泣くことはなくなった

他の大学生がしていることを見たり、合わせようとすることもなかった
何にもしたくないと泣いていた自分が「あれもやりたい、これもやりたい」という人になってしまっていた。
この状態もあまり良くはなかったと思う

"すごい人"は確かにかっこよかった、でもそれを自分が目指すのはなんだか違かった
だから会社で働くことにも疑問を持ち始めた

早々に自分の性には合っていないと思うようになった
憧れの企業とか仕事とかも特にできなくて、就活は頑張らなくていいや、自分になんとなく合っていると思えればいいや、何かのために働くなんて考え方がおかしい、なんて生意気なことを思い始めた(今もだけれど)

2年の春から始めた有給インターンの仕事は楽しくて、いっぱいやって、でもやっぱりこの働き方を卒業した後も続けるのは違うなって思ってた。
それでも自分のやりたいと思ったことをやって、実際楽しくて、自分の好きなことが分かったのがよかった。

でも充実していることは自分の幸せとは違った

大学生になって初めて、隣にいてくれる人、寄り添ってくれる人のあたたかさを知った

一番幸せなのはこの時間だと思えた
大好きな人に全部そのまま受け入れてもらうという自分にとっての最大の承認欲求を満たした私は、多くの人に認められること、成功することに何のこだわりもなくなった
これが一番落ち着く、と入学時に抱えていた就活生のような焦りもなくなった

3年次、大学で何をメインにして学びたいかと考えた時、当事者になれないと学び続けられないような気がした私は、今まで育ってきた中で少し引っかかったジェンダーについて考えてみることにした。
未熟だった自分は平和学の問題や構造の問題に自分との距離をまだ感じてしまっていた。

2年間考えたり、動いてみた中で自分がどんな位置に立っているか、身近な問題が社会構造の問題として形になって見えるようになった。
だから普段感じていたことも、多くは構造に落とし込めるのだと繋がった。

自分のことが分からなくて、自分さえ大切にできない人が、どうして他者を大切にできるだろうとも思った

2年前は当事者として繋げて考えることができなかった平和学の視点の問題も、ジェンダーの構造を見てきたことで、繋がるようになった。


「嫌なことと向き合うこと=不幸なこと 」ではないということも、自分にとって大切な気づきだった
今まで捨てたらいけないと思い込んでいたものを捨てることで、想像以上にラクになれたし、いろんなことと向き合ったことで、落ち着いたことがあった

というのも3年の春、私はショックなことで引きこもって授業に行かなくなって、初めて単位を落とした
自分が深く傷ついて一度絶望感を味わったことで、なぜ自分はこんなにも悲しくなるのだろう、何が嫌なのだろうといっぱい問うて、傷と向き合って昇華させるようになった

ゼミに入ってから見えてきた世界は、"考えるとしんどいこと"がふっと目に入る世界だった

"考えるとしんどいこと"は自分のことでも、大切な人のことでもあった
だから見ないフリをすることの方が、私にとってはしんどいことだった
いつも考えていなくちゃいけないなんてことはないし、それに縛られることもない
向き合うことこそが私の感情にとっては解放だった

自分の生きる場所がいかに限られた人間のためだけに作られているかも、それに対して感情を露わにすることで、自分自身が排除されることも嫌悪されることも実感した

でも、それでも良いと思える軸ができた
だから見えなかったけれどあったかもしれない枠から少し解放されることもできた。

大切な人とたくさん思考を共有できて、それが自分の1番の安らぎになって、そこに自分にとっての幸せを見つけた。

正解を欲しがっていた私が、答えがないことの幸せを見つけた。

闘うことよりも、愛することの方が"強さ"だと思った。
愛しているから涙が出るし、憂うことも怒ることもあるし、感情が揺さぶられる。
好きだから辛いことも、それと向き合わなければいけないことも多かった。

自分を悲しくさせるのも、自分をおかしくさせるのも、自分を笑わせるのも、全部自分の好きな人たちで、
私を深く傷つけられるのは、私の大切な人だけでした。

今まで私はあまり感情を言葉にしない人でした。(集団では黙っていることが多いし、何を考えているか分からなく見えるかもしれないし、今もそう見えている人もいるかもしれないけれど)
でも実際は常に感情ばかりで生きている人間で、仲良くしてくれている人は嫌というほど私の感情のややこしさとか、そのままそれだけで行動することを知ってるかも。

実際引きこもったり、一人で激昂したり、4年間ではそんなこともありました。自分ってこんなに人のことを好きになってるんだなって、他者のことでこんなに感情的になれるんだなって、知りました。
"その人のため"ではなくて、他者のことがそのまま自分の感情になっているんだなって。

友人、パートナーに限らず家族や溺愛してるいとこへの気持ちもより強くなった

小中高で出てきていなかった部分も含めて、ちょっと溢れるくらいに気持ちを注いだ人もいたかも。

接した人やモノを溺愛していたから、大学生活でこんなに考えたり、ネガティブに見えるけれど泣いたり怒ったり感情を出していたんだと思う。
本当に好きだから、周囲からは問題に向き合うことでネガティブに見えても自分では幸せなんだと思います。(病む愛情とはもちろん別物。依存は愛情ではないし、独立していることが本当に大事)

それが「嫌なことと向き合うこと=不幸なことではない」という私の考え。嫌なことと向き合うことはしんどいけれど、結局自分の好きな人たちに関わることだから、そして傷を昇華させるには受け入れることが一番必要だから、向き合うことで楽になれることもある。

大学でそんな人たちに会えたこと、何百時間っていうくらい話したこと、幸せだった

これからもそうやって好きな人と一緒にいたい
距離が離れることよりも、生きる時間のスピードが変わってしまうかもしれないことがこわい

でも大学生活で見つけられた強さを捨てずにいたいし、それだけ好きな人たちだからこれからも簡単に離れることはないと思う

いつもありがとうという気持ちです

自分は人にあまり興味がないんじゃないかと思っていた数年前。でも意外とたくさんの人のことを、自分が思っている以上にちゃんと好きなんだなと実感させられたのが大学生活での発見でした。

"強さ"を大学で手に入れたから、少しの"しなやかさ"を身に付けることが次の自分に必要な目標です。

私が大学で得たのは人を守る「知」です。
「知」はもちろん武器にも、名声にもなる。
でも私は"愛するという強さ"を知ったから、4年間で得た「知」を、自分と周囲を守る盾として大事にしていきたい。

なんのために勉強するの?と聞かれたら、「自分や周囲の人やものを大切にしたいから。全部繋がっているから。」と私は答える。

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