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沖縄で見てきた基地問題(編集中)

この写真は米軍の保養所であるOkuma Beachから撮ったもの。
「米軍は良いところを見つけるのが上手い」といったことを言う人もいた。
沖縄の土地だった場所が、沖縄のものではないんだなと思った。
ゲートをくぐるとそこは日本ではなくて、アメリカ。

かつて沖縄だった場所に、今は"許可されないと入れない"

ビーチでは米軍の人とその家族がバカンスを楽しんでいた。


5000日以上も座って、ずっと闘い続ける力はどこから来るのだろうと考えてみると、やはりそれだけの傷と怒りなのだと思う。

傷を負った時、その人がどんな対処の仕方を取るかに価値観の違いが表れるのかもしれない。

目を向けずに諦めた方が幸せだと考える人、向き合って傷を治そうとする人、楽しいことを考えた方が良いと忘れようとする人、いろんな人がいる。
でも、どれを選んでも全てがそうなるという単純なものではないということを覚えておいてほしい。
当たり前のことなのに、この当たり前のことが忘れ去られた批判や議論が多い気がしている。

ある人が社会問題に向き合って闘っているとしても、その人の生活すべてが「ネガティブ」なわけではないのだ。
その人は、その部分だけ切り取れば、「不条理と闘っている人」かもしれない。
でも、実際は普通の人たちと変わらない。

辛い思いを抱えて生きている人も、あの場所に座り続けている人も、"可哀想な人"ではないのだ。
みんなと同じように、普通に笑ったり、生活を楽しんでいる。
でもそれを忘れて、何かを批判すれば「暗い人、楽しいことに目を向ければ良いのに」と言い、楽しんでいれば「何も苦しんでなんかいないじゃないか、結局わがままを言っているだけだ」と言う。そんな言説が当たり前のように批判として成り立ってしまっている状況がある。

批判をすることは簡単だ。
文句など、いくらでもつけようがあるのだから。
どうか、"被害者は被害者らしく" という「らしさ」の偏見から、抜け出してほしい。

"沖縄の問題"は、沖縄の問題ではない
全く同じ構造が私たち自身にも降りかかっている
それに気づかないフリをしつづけるのか、本当に気づかないのか、積極的に自分の首を絞めつづけるのか、"誰かがやる""変わらない""期待するのがバカ"という人たち、
冷めたフリして分かってるフリして、冷笑することで自分の安心を得ている人たち、
本当は何も知らないでしょう?知ろうとしないで言ってるでしょう?

"分かってるけど関わらない"なんて姿勢になれると、私は思えないんだ。
だから、きっと自分が知らないことを知ってるフリして冷笑して正当化して、安心しているだけなんだ。
もうそんなフリは、"自分のために"終わりにしませんか?

#沖縄 #戦争 #基地問題 #米軍基地 #政治 #6月23日

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