ゲルマニウムラジオと脇役。

 この二つの言葉が出てきたのは、重松清の「きよしこ」からである。ゲルマニウムラジオとは、「ゲルマニウム・ダイオードを使ったラジオ」と調べると出てくる。知識が皆無な私にとって、ゲルマニウム・ダイオードって何だろうかと思ってしまう。とりあえず、電池がなくてもラジオを聞くことができるものと定義する。

 小説やマンガ、ドラマや映画では、主人公とその周りの脇役が設定されている。脇役、通行人Aといったものは、見ている側からの呼び名である。では、その通行人Aの人は、本当に脇役なのか?いや、通行人Aの人はその人の人生や価値観のもとに生きている。つまり、通行人Aだって主人公になり得るのだ。

高1で「今ここにある無数の未知」という評論を勉強した。その時に、「住んでいる人の数だけ中心がある。」というようなことが書いてあったのを思い出す。それは、脇役とどこか通じないか?つまり、人間界において、誰もが主人公!といった名言ぽいことが言えるのだ。

 誰もが主人公!ってなんか綺麗事に聞こえる。けど、事実。どんな物語を築くことかできるだろうか。幸せな生い立ち?不幸な生い立ち?それとも、幸せだけど不幸な、不幸だけど幸せな生い立ち?今の自分は幸せだけど不幸なが似合いそうだ。

ゲルマニウムラジオという素晴らしいものは、あまり有名ではないように思う。つまり、脇役。でも大切な主人公。

今日の幸せはね、夜風に当たって音楽を聴いて、自分に自惚れることができたこと。あ、生きてるって自分が主人公みたいなセリフを言ったことかな。

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