『この世界の片隅に』[映画感想]

オススメです。これは「観たほうがいいよ」と言いたい作品です。どこが良いと思ったのか、自分なりに書いてみます。

・最初から最後まで、ほとんどのカットとその流れの圧倒的な美しさ、無駄のなさ、それらすべての映像表現の質の高さ

・主人公のキャラクターと奇跡のような出会いをした「のん(能年玲奈)」の神がかった演技力

・戦争が"日常"を破壊していくなかで、それでも目の前の一日一日を淡々と生きるほかないという視点と、徹底的な日常風景、事物の描写

・コトリンゴの牧歌的な音楽のかなしさと、明るさ

・クラウドファウンディングから始まってここまでの作品が作られたことへの感動

全て言っちゃった感じですが・・

僕は、「今はもう存在しないもの」「かつてそこに生きていた人々」の「日常」を「甦らせる」創作物が非常に好きです。それは、全ての生物と同様自分が生きて死ぬ存在であるというアタリマエのこと(そのあとも僕の存在など無かったかのように現実は続いていくこと)への根源的なむなしさや、そのむなしさを何かの「救済」に吸収させようとする思いがあるからです。「かつて存在した、何でもない時間、どこにでもあるような場所、どこにでもいるような人々」をていねいに描いている創作物に触れることによって、「死」を"乗り越える"覚悟のようなもの、人の興亡のなかのあぶくのひとつとしての自分という存在へのはかなさへの"納得"を積み重ねるように感じるからです。『ブラタモリ』がという番組が好きなのもそれに近い理由ですね。

この作品についての評価のひとつとして、とにかく昭和10年代~20年の広島や呉の街や、料理や自然風景の描写の克明さがすごい、と言われています。ホントに凄いです。綿密な取材によって再現されたそうですが、僕は上記の理由から、もう、その街の光景だけを2時間ひたすら見続けているだけでも良いとすら思えました。自分たちと同じように、どこの時代にも、働いてメシを食って商売をして恋愛をして嫉妬して寒さをしのいだりして暮らしを営んでいた人たちがいて、彼らが全員が死に絶えるように今生きている僕たちもまた全員が消えていく。しかし何も起こらないような日常をただ描いているだけでは「ドラマ」にならない。戦争が日常を破壊していく。

主人公は本人が言っているように極めてボーっとした、絵を描くのが好きな、意志が強くなく、流されるままに生きていく女の子(そしてそのまま大人になる)で、物凄く純粋な、天然の明るさを持ったキャラクターなんですが、そういう人物が、日常にじわじわ入り込んできて、やがて凄まじい威力でもってすべてを破壊し尽くしていく「暴力」によって「ボーっ」としていられなくなる。ほんわかした「地」の人格が、壊される。この映画のなかで反戦的な言葉は使われないんですが、終盤で、そういったキャラの主人公の感情が爆発する。ネタバレをひとつしますが、広島の原爆で呉まで吹っ飛んできた、どこかの家のフスマが樹木のうえに乗っかっているという凄まじい光景のところで、それが出る。

しかしこの映画はたぶん(僕は原作を読んでいない)「戦争の悲惨さ」「反戦」を伝えたいわけではなく、現実がどれだけ過酷になっても、人は塩や砂糖を使って、草や穀物を調理して食べていかないと生きていけないしそれをやめることはしない、ということ、悲惨な戦時でも「暮らし」を明るくして乗り切ろうとする力が人にはあるということで、いわば「暮らし保守」的なんですね。あと、全然中身の違う映画ですが『ハウルの動く城』でも同じようなことを思って、もうアホみたいに、「人って、何でこんなことしてるんだろう・・」と思ってしまう。自分と同じ生物がえんえんと殺し合いを繰り返していることに、なんか、小学生みたいな疑問を持ってしまうときがあるというか。

今の日本は戦争をしているわけではないけども、経済的人殺しみたいなことは起きている。メシを食べる、ということはある種の人たちにとっては大変なわけで、それでもメシを食うために、基本的には這いつくばってでも生きようとするしかない。やってることは変わらない。弱い人、運が悪い人は死に、生きた人たちが命をつないでいく。絶対に不可能ですが、みんながおいしいものを食べて笑って生きていけたらいいのにな、とアホみたいに願うしかないんですけどね。こうやって笑っていられたらいいのにね、というセリフが劇中でも出てきますが、ホント、単純にそう思いますよ。

まあ、良い映画でした。

ちなみに『君の名は』を観たい、という10歳の娘と一緒に観たんですが、娘は僕に気を遣ってツマラナイとは言わないものの、明らかにつまらなそうでした。事前に第二次大戦の経緯や日本がどうなったか、原爆って何か、とか話していて、まあ「教育」的意図があったわけですが、失敗でしたね。恋愛アニメを観たいならソレを見せてあげるのが一番だと思いました。観たいものを観せてあげるほうがいい。昭和20年というのは、娘の祖父母が生まれたころで、もう70年も前で、今の子供たちにとってあの戦争は「過去」でなく「歴史」なんですね。広島生まれの原作者のこうの史代さんは、答えの決まっている「戦争、原爆の悲劇を繰り返してはならない」と言わされるのが凄く嫌だったそうです。悲惨な過去もどこかで「向こう側」に押しやることは大事で、しかし、それでも、後世の優れた創作者がそれを現代に送りなおす、ということをこれからもずっと繰り返していくんでしょうね。

この監督が過去に自分が絶賛した映画を作っていた、ということを最近知りました。『マイマイ新子と千年の魔法』ですね。その感想はコチラです。

https://note.mu/hubbled/n/nf2b1b3692206

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