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貧しい女の子のことを思い出した [雑記]

見たまんまのこと、そして「だから何」ってことを書く。ふと思い出した。

娘が小学生に入って最初に仲良くなったトモダチ(女の子)が、グレていた。というか、"グレる若者"の兆しがあった。
Rちゃんといって、6歳7歳なのに、大人びたような顔立ちをしていた。彼女は母親と、母親の父(おじいちゃん)と3人で暮らしていた。
学校が終わったあとウチに遊びに来るようになったのだけど、すぐに「ちょっと、変わった子だな」と思うところがあった。まず、図々しく、遠慮がなかった。お菓子やジュースなどをねだって来たり、娘の私物を手にしたら手放さない、みたいな。端的に言うと、僕は「躾」がされていないな、と思った。
Rちゃんは頻繁に我が家に遊びに来るようになった。娘と約束していなくても来たし、娘が居ないとわかっているのに来ることもあった。僕は当時、娘に「Rちゃんはちょっと変わってるけど、仲良くしてあげなね」と何度か言った記憶がある。

母子家庭だから、とか母親は夜の仕事をしているから、とかいう「育ちの環境」から想像される彼女の内面みたいなものに偏見を持つなと言われても無理というもので、僕は、「さみしいんだろうな」と思った。

学校というところは残酷な場所だ。貧富や親の有無、あり方は多様なのに、イベントには、原則として全員参加しなければならない。たとえば、運動会にお弁当を作ってもらえない子は本当にいる。Rちゃんはそういう子で、「運動会には出ない」と学校に言っている、と娘に聞いた。これを聞いたときは胸が痛くなった。ネグレクト、というほど、何も与えられていないわけではなく、暴力を受けている様子もなかった。彼女の母親が何を考えているのかなど、想像の範囲を出ない。そして「ヨソのお父さん」である僕は、何も出来ない。ヨソの家庭に干渉する、というのは、実際はなかなか出来ることではない。

やがて娘の友達も変わっていき、2年生になってからは、Rちゃんと娘は遊ばなくなっていった。
そしてRちゃんは、隣町に引っ越していった。それも、非常に治安の悪い街に。
「お母さんにあたらしい彼氏が出来て、その彼氏のところに引っ越した」というようなことを、妻から聞いた。「ああ、、そうか・・・」と思った。

引っ越したあと、Rちゃんから娘に何度か手紙が来ていた。「また遊ぼうね」というような内容だったが、やがてそれも完全に途絶えた。その後の彼女については何も知らない。

彼女のことを思い出したのは、近日、その街で大きな夏祭りがあり、中学2年になった娘が浴衣を着て友達と行く、と聞いたときだった。Rちゃんがまだその街に住んでいるのかなんて、勿論わからない。でも、「あのころの感じのまま」大きくなったら、いわゆる不良という存在になっているだろうなと想像した。もう娘の記憶からも殆ど消えているだろう。

高いレベルでの教育論とか受験がどうしたというようなtwitterの話題とはぜんぜん違うところに、Rちゃんのような家庭の子供はたくさんいることは確かだ。だから何だ、ということなんだけど。「与えられた条件で勝負するしかない」のは人生の真実だし、ヨソの貧しい子になんて、自分は何も出来ない。ただ、忘れられない。

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