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学校に行く意味ってあるの?って言われてもね。[雑記]

そんなことに答え出せるかい!!と言うしかない。
10歳の不登校ユーチューバーの活動からの派生として、いかにも出てきそうな話題。
たとえば「実業家」の堀江貴文氏は、以下のように意見を述べていた

ホリエモンは今の時代に小学生だったら学校行ってなさそう
→ 「当時はスマホもネットもなかったから学校行くしかなかったけど。正直あんなにつまらない場所にスマホとネットがある時代に通わされるって刑務所に通わされてるようなもんだよな」
仮に自身の子どもが学校に通わないことを選択したら許すのか?
→ 「親は子供の行動を制限する権限など持ってないと思っている。親ができることは子供の経済的なニーズに応えることのみ」「スマホとネットよりも楽しいことなんか小学校にはないよ笑」
小学校で受ける教育について
→ 「掛け算なんて計算機で出来るじゃん。相対性理論知らなくてもGPS使ってるGoogleマップ使えてるじゃん」
学ぶことの楽しさを知る場では?→ 「学ぶことの楽しさなんて学校で知ったことないけど」
学校は同世代の人間と交流することで社会性を養う場でもあるのでは?
→ 「そもそもスマホとネットがある今、無作為に集められた雑多な人間と交流して社会性を養う必要があるのか?って話よ。それで虐められて一生続く傷を負ったりしたら本末転倒じゃん」

個人の意見としては別に何も問題ないさね。ツッこみたい部分はいくつもあるけど、自分の経験と意見を語ってるだけだから。なのでこの人の発言にに対して異論を唱えようとしても、単に「個人の考え方を言い合う」ってだけで、それが「正しい」かどうかなんて誰にもジャッジできない。しかしTwitterなんか見てると、「あなたの言ってることは間違っている」とどうしても直接言いたいヒトは多いですわよね。

チョーー雑なことしか言えないけど、学校教育なんか良いところも悪いところもあり、その「良いところ」悪いところ」も、個人によって見え方が違いますわよね。
・家族構成
・親との関係(干渉度合いとか、愛憎とか、いろいろ)
・地アタマが良い子、良くない子、中くらいの子
・協調性の高い子、低い子、中くらいの子
・親がお金持ちな子、貧しい子、中くらいの子
とか、挙げだしたらキリがないほど個別差があるからね。

昨日もTwitterで見かけたけど、島田伸助が「なぜ勉強しなくちゃならないのか」がずっとわからなかったけど、「人生の選択肢が増えるから」という答えを聞いて目からウロコだったと言っていた。10,000円持っている人も1,000円持っている人も300円のモノは買えるけど、1,000円しか持っていない人は3,000円のモノは買えないと。うん。確かに。個人がより自由に、快適に生きるために、という意味では全く正しい。僕もコレは子供に言ってみようと思う。多くの「フツー」の人間にとっては、学校で勉強することは大事だ。
ただ、誰かが「持つヒト」になったら、別の誰かが「持たざるヒト」になる、この世は椅子取りゲームなんだよ、ということも、子供には言わないといけないなとも思うね。ホリエモンみたいに勝ち続けて行けるほうの人が快適に暮らすには、快適には暮らせているわけではない貧しい人たちの存在が不可欠、という構造なのは確かなので。

勢いで書いたのでよくわからない文章になった。

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