読みたいことを、書けばいい。 #気ままに読書感想文
自分が読みたくて、自分のために調べる。
それを書き記すことが人生をおもしろくしてくれるし、自分の思い込みから解放してくれる。
何も知らずに生まれてきた中で、わかる、学ぶということ以上の幸せなんてないと、私は思う。
この本はnoteに書き尽くせないほど素敵なことばばかりで、それでも少しでも書き留めて、この温度感を残していたくて、書き連ねた。
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わたしが随筆を定義すると、こうなる。
「事象と心象が交わるところに生まれる文章」
あぁ、私はこれが書きたかったんだなと思った。
事象=見聞きしたこと、知ったこと
心象=それに触れて心が動き、書きたくなる気持ち
いろんな情報や出会う事象がある。
どの事象で心が動くかは、きっと人それぞれ違ってそれが個性だったり感性するのだろう。
定義をしっかり持てば、自分がいま、何を書いているかを忘れることはない。
<中略>
その単語に自分がはっきりと感じる重みや実態があるか。わけわからないまま誰かが使った単語を応用していないか。
定義を固めないと何を書いているのかわからなくなり、自分の足元があやふやになってしまうからこそ、ことばを疑うことから始める。
ほめてくれる人に、「また次もほめられよう」と思ってかくと、だんだん自分がおもしろくなくなってくる。いずれにせよ、評価の奴隷になった時点で、書くことがいやになってしまうから。
他人の人生を生きてはいけない。
なんていう切れ味のある文章なんだろう。
この後に続く、
書くのは自分だ。誰も代わりに書いてくれない。あなたはあなたの人生を生きる。その方法のひとつが、「書く」ということなのだ。
この文章もすごく好きだ。
また褒めてもらえるように書こうとおもうとどんどんおもしろくなくなる
このループに入り込んでしまう人は一体どのくらいいるんだほう。
このギリギの淵から眺め長は落ちないように踏ん張りたい
感動が中心になければ書く意味がない
対象に対して愛がないまま書く。これは辛い。だが、一次資料には「愛するチャンス」が隠れている。お題を与えられたら、調べる過程で「どこかを愛する」という作業をしないといけない。それができないと辛いままだ。
私は基本的に随筆を書いているので、「書くこと=ある程度知っていたり、興味があること」が中心になる。
それでもどうしても理解が及ばなかったり、興味が湧きづらいテーマのときどうすればいいのだろうと本気で悩んでいた。でも答えはここにあった。
「つまらない」「わからない」ことも感動のひとつ
<中略>
調べることは愛することだ。
自分の感動を探り、根拠を明らかにし、感動に根を張り、枝を生やすために、調べる。
自分が読みたくて、自分のために調べる。それを書き記すことが人生をおもしろくしてくれるし、自分の思い込みから解放してくれる。何も知らずに生まれてきた中で、わかる、学ぶということ以上の幸せなんてないと、私は思う。
いろんな本を手にとって、読んで、手放してをくり返したけれど、この本はずっと手元において、なんども読み返したい一冊。
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