冬木 遼太郎 「茨木市のみなさんへ/突然の風景」

冬木遼太郎が執筆したテキスト、「茨木市のみなさんへ」「突然の風景」を公開します。

このテキストは、関連プログラム「《突然の風景》発表のための市内キャラバン」の一環として、発表会場の茨木市中央公園北グラウンド周辺の約1万世帯の住民の方々を対象に、作品発表の周知と内容のご理解のために、該当地域の回覧板で閲覧していただくことを目的に制作した小冊子に掲載しているものです。

本日より回覧板での閲覧が随時始まりますが、茨木市内の該当地域以外の方々、発表当日に市外より会場へお越しになられる方々やご関心のある方々にも、作品への理解の一助となればと思い、こちらを一般公開することとしました。なお、このテキストと回覧板への取り組みも、《突然の風景》から派生した冬木遼太郎の作品の一つとして位置付けています。

茨木市のみなさんへ

はじめまして。冬木遼太郎と申します。
このたび、茨木市が主催する文化事業「HUB-IBARAKI ART PROJECT 2019」に選出され、この茨木市で芸術作品をつくることになりました。そして、この文章は茨木のみなさんに対して、今回のプロジェクトの内容及びこういった事業が行われている、ということを伝えるために書きました。

茨木市の公共事業である以上、役所や僕には「市の予算を使ってこういう取り組みをやります」とできる限り周知する義務があります。哲学者のハンナ・アーレントは、公的であることの条件のひとつに「可能な限り、最も広く公示されている」ということを述べています。(『人間の条件』,1958)僕はこの事業の中で作品をつくり、それを含めた約半年間のプロジェクトを様々な立場・職種の方々とともにチームで行います。それは結果的には悪い評価を受けるかもしれません。もしかしたら「芸術作品として価値がない」と言われることもあるかもしれません。けれどそれ以上によくないのは、こういったことが全く知られずに行われ、触れられることなく終わっていくことです。良い悪い以前に広く伝わること、それが大切だと思っています。

皆さんの中には、美術に興味がない、もしくは「アート」といった言葉に敷居を感じる方も少なくないと思います。その原因は何なのか。色々な理由があると思いますが、僕は「見方がわからない」という点が大きな原因だと考えています。実際、美術はよくわからない、と仰る方からよく聞くのもこのフレーズです。けれど、実はそれは「美術」や「アート」といった言葉に対する敷居の高さや、美術館やギャラリーといった場所への馴染みのなさといった、“作品のまわりにあるもの”が原因ではないかと僕は考えています。
みなさんは、公園の柵や街路樹の先端に、手袋がはめられているのを見かけたことはありませんか?おそらく誰かが落としたのでしょう。手袋が子供の大きさなら、遊んでいるうちに落としたのだろう、とか大人の男性のものであれば、お尻のポケットから落ちたのかもしれない、と想像することができます。次にそれを見つけた別の誰かが、地面に落ちたままだと汚れるから、拾ってたまたま近くの柵にはめたのでしょう。「手袋が柵にかぶせられている」という状況の向こう側には、その風景に至った経緯や偶然通り過ぎた人の優しさといった様々な事柄、たくさんのことを感じることができます。
僕は、作品の見方も基本的にそれと同じだと思っています。現在の美術作品の多くは、社会的問題や歴史的観点なども関係してくるため、手袋の風景よりも、すこし複雑にはなっているかもしれません。ですが、いま多くの作家が重要視していることもまた、状況や時代によって変わっていきます。ただそのもの自体を見るだけではなく、そのものの“あり方”を含め、見方を捉え直す、考える。そういったごく普通の意識が、美術を見ることにつながっています。

僕は偶然が好きです。たまたま今年僕は茨木市で作品をつくります。この文章を読んでくれている方も、偶然目に触れ、なんとなくここまで読んでくれたのだと思います。いつもとは違う、偶然の積み重ねの上に誰かと会うことも美術の力のひとつです。だからこの文章を読み、もし美術に興味が少しでも湧いたなら、ぜひ今回の作品発表を見にきてください。そして、いつもとはちょっと違う風景から、見ること、考えることを体験してもらえればと思っています。


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突然の風景

日本人としての自分が、戦争や原爆、あるいは東北の災害に関連した作品をつくるなら何をするか? 2017年から2018年にかけてのニューヨーク滞在から帰国して以降、そういったことを考えるようになっていた。自分の作品を通して、世界に対して日本人であることを過度に提示する必要はないと僕は考えている。だからといって、それらの日本だけが持つ経験や歴史について思考しないのは違う。「考えること」と「作品化すること」は別である。ニューヨークという世界で一番多くの人種・国籍の人が暮らす街に滞在し、自分自身が日本人であることを強く意識させられる環境に身を置けたことは、これまでにない視点から自己を省みてゆく上での良い経験であったと思う。

今までそういったトピックスを自作に取り入れなかった理由のひとつは、3.11を題材とした作品の大半を直感的に受け入れられなかったからである。なぜならもし僕が被災した側だとしたら、突然やって来て「一緒に作ろう」と言われても、ただ戸惑う。勿論そういったアーティストのアプローチをポジティブに捉える人もいるだろう。しかし、それがいかに善的なことであったとしても、急に自分たちの領域にやって来て、何かをされることに対して嫌な思いをしている人もいるはずで、そこがスルーされていることが気になって仕方がなかった。それは割合や数の問題ではない。一人でも嫌だと感じる人がいる、それ自体が考えなければいけない点である。(このへんは阪神大震災の時から何も変わってないんだろうな、と思う。)
だから、おそらく問題は態度であると思う。どういう立場の人間がどれほどの責任を持ってそれをやっているのか、という点にあるのかもしれない。

大きな災害があったとき、自衛隊や救急隊、レスキューの人は危ない現場でも救助ができる。心理カウンセラーや療法士の人は、長期的なスパンで内面をケアする。じゃあアーティストは何の専門家なのか。何のプロなのか。
喫緊のために、現地にボランティアに行く人や物資を送る寄付をする人たちはたくさんいるだろう。けれどその人達は自分の行いにタイトルをつけて提示はしない。彼らはただ匿名で行う。
3.11以後の数年「アーティストならばあの出来事に対して看過してはいけない」、こんな言い回しをいろんなアートの界隈で聞いた。でも、アーティストは、僕らはいったい何の専門家なのだろうか。役割という観点から見て、医者やレスキュー隊の人と違うことは確かである。

今回の作品プランはそういったモヤモヤとした色々な考えの末の、自分なら何ができるか?という問いの上にあり、そこでふと浮かんだのが、音楽における聴き手と演奏者の関係だった。
音楽が演奏される状況は、実は演奏者から聴者に向けて投げかけられる、という一方通行のシンプルな構造ではない。その状況は、双方が「音楽」というものに対する信仰を共有しているからこそ、成立している。発信する側から受け手に対する投げかけ以前に、同じものを信じているから成り立つ状況が、そこにはある。
そのような前提を持つ、音楽の場によって経験を共有すること、もし未来に悲しい出来事があったときのためになる、共有された風景をつくることなら、僕にもできるかもしれないと思った。

クラクションは、パブリックな場所において、自分(の車)の存在を主張するものとして用いられる。個人が「ここにいること」を主張している。そのパブリックな場での行為に音階を与えることで、複数の集合体になってゆく。一つひとつの主張が、音楽という構造の元に統合されてゆく。突如起こる様々な不慮に対して、他者と心象を確かめ合うこと。気持ちの予行演習。起こりうるかもしれない突然の風景を目の前にした時、この作品を一緒に見たことが、支えになればと思う。

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