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南さんの朝日新聞退職挨拶文の感想

久しぶりの投稿。ブログ名もはてなとは別に「終活生日記」に変えて、メディア関係の垂れ流しを書くことにしました。

「退職エントリー」といえばnoteなんだから、南さんもnoteに書けばよかったのに。

“そう、今の朝日新聞という組織には、絶望感ではなく、絶望しかないのです。”とか書いてるけど、多くの人たちは、ただ沈みゆく船から飛び降りただけなのに、ずいぶん偉そうだなと感じてるのではないだろうか。立岩さんの“この「退職挨拶文」はメディア史に記録されるべき第一級の資料だ。”なんて評も大げさな気がする。

もし本当に朝日新聞社に問題があり、変えなければならないと考えているのであれば、あるべき状態はどうで、現状どういう問題があり、どうやって解決していけばいいのかを整理して書くべきーーそれも実行可能で、単なるきれいごとでもなく、それをやったあとに本当に朝日新聞社が業績的に浮かび上がるような策を打ち出すべきと思うんだけど、なんでこんなふわふわしたことを書いてるんだろう。

たとえば日立製作所が、総合電機メーカーからITサービス企業に変わるために、20社以上あった上場子会社を全部売却したり本体に吸収したりしてなくした、といったような絵が、南さんの中で描けているとは思えない。「権力とメディア」「市民社会とメディア」の関係性の見直し、女性管理職の登用とか並べてるけど、そういう体質改善みたいなもので業界のビジネスが復活するわけはない。読売がやってることこそ、ちゃんとしたビジネス戦略だろう。

読売に「業界トップ」を取られ「業界を掌握」された朝日に未来はない、みたいなところしか印象に残らない。じゃあ業界トップを取り返すのかといえば、筑紫哲也氏の「とかく一つの方向に流れやすいこの国で、少数派であることを恐れないこと」を引いていて、少数派としてやっていくべきと言ってるようにも見えるけど、それをやるためにはそれなりの茨の道の戦略が必要なはずだが、しかしそれが書かれているわけでもない。精神論や体質改善論で勝てるわけがない。

南さんには琉球新報がお似合いだし、朝日新聞を辞めることが「事件」になりうると考える(ような行動を取っている)こと自体が世の常識からかけ離れていると思った。

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