見出し画像

そのひとはもうしんでてもいいから

先日の勉強会でdanroの読者の方に何人かお会いしたら、みんな「noteのコラム好きで読んでます」という。

上のエントリーのビューも16万6000を超えて、まだ増え続けている。たいへん複雑な気分だ。みんなそんなにこっちが好きなら、danroにこっちを載せればいいではないか!!!

まあ、そういうわけにもいかないから、何が好まれているのか理由を分析してdanroに取り込むことにしようと思う。例えば「論」っぽいスタイルがより読まれることは分かっていつつ、danroでは今のところ回避しているのだが、

……って、自分が書いてることと、全然違うじゃん! 「自由に書く」って言ってたのに!

いや、一番やばいのは、ネット受けを意識するあまり、他人の欲望に応えることを内面化し過ぎてしまい、自分の欲望が空虚になることだ。それを「売れた証拠」と言う人もいるだろうけど。

勉強会の懇親会で、別のdanro関係者が正面に座った。僕が武満徹の動画をTwitterに流したのを見て、武満について話がしたいというのだ。

そこでつい、若い頃、彼に会ったエピソードを話した。さらに勢い余って、自分の書いたものに関して話をすることはあまり好きではないのだが、danroのコラムにも武満からの引用があると口を滑らせてしまった。

武満は旧友の谷川俊太郎の詩をナレーションに読ませ、それに音楽をつける形で「Family Tree(系図)」という作品を書いた。

オーケストラにアコーディオンを配した、美しいメロディの曲だ。1995年にアメリカで初演されたときには、分かりやすいと好評だった一方で、音楽的な堕落だと批判する人もいた。

生前から長いこと彼の音楽を聴いてきた身から言うと、その批判はおそらく当たっていない。「波の盆」も「Family Tree」も、彼の本質であることに変わりはない。別にテレビ向け、子供向けに変えたわけではない。

むしろ彼の中には、常に官能的といえるほど美しくゴージャスなメロディとハーモニーが横溢していて、それを外に出すときに、禁欲的に厳しいスタンスで書いたものと、そうでないものがあるだけの話だと思う。

ただ、死を間近にして彼がストイックでいられなかったとか、それだけの体力が残されていなかったというのはあるかもしれない。

「Family Tree」は20~30分の曲で、全6曲からなっている。最終曲の「とおく」には、美しいハーモニーが盛り上がり、それがふと切れた間に、こんなナレーションが流れる部分がある。

そのとき、ひとりでいいからすきなひとがいるといいな
そのひとはもうしんでてもいいから
どうしてもわすれられないおもいでがあるといいな

武満が初演から一年経たずに亡くなったことを考えると、なかなか感慨深い部分である(下の動画の2分35秒くらいから)。

ふたたび音楽が動き出したとき、ナレーションはこう続く。

どこからかうみのにおいがしてくる
でもわたしはきっとうみよりももっととおくへいける

新潟の酒屋の店先を出たとき、微かな潮の匂いがした気がした。それは気のせいだったかもしれないが、そちらの方に歩き出したのは事実である。

そのとき「Family Tree」のこの部分をふと思い出した。そこでコラムには、こう書いたのだ。

店の外に出ると、どこからか海のにおいがしてきた。その方向に北へ歩いていくと港があり、目当ての店は新潟漁協の事務所近くの、改造されたコンテナの中にあった。

ここだけ読んで、武満/谷川からの引用だと分かる人はいないだろう。「においがしてくる」と「においがしてきた」だって違う。ただ、書いたときは確かにそう考えたので、いちおうメモしておこう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?