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感情の純度

20年ぐらい前、自動車教習所へ通っていた。

小さい頃からの乗り物酔いが嫌で、
「車を運転できるようになったら、治るよ。」
と聞いたから。

車酔うし、バス酔うし、電車酔うし。
ついでに
自転車も長く乗ると、軽く酔う。
こんなんじゃ、遠出なんて出来んじゃないか。

運転に興味があった訳ではないので
ちっとも楽しくなかったが、
目的はあったのでなんとか通っていた。

ある日、
学科テストがあって、テストの結果は即日開示。

教習所ロビーの大きなテレビ画面に、合格者の番号が映し出された。

あった。自分の番号。

別に難関テストでもないが、素直に嬉しい。
だから、素直に喜んだ。
そしたら、声もそのまま口から出た。

『受かった!!やったー!!!(*゚▽゚*)』

わーいわーいわーい感満載のわたし。

すると、

「ちょっとこっちおいで」

と年配の教官に手招きされた。

そして、

「落ちた人もいるんだから、あの場であんな風に喜んではダメ」

と叱られた。

ああ。そうですね。
落ちた人の気持ちを考えると、隣ではしゃぐのはいけないですね。
可哀想ですもんね。
すみません。わたしの態度は配慮が欠けていました・・・。


なんて、ちっとも思わなかった。

そんなもん、知るかっっっ!!!

勉強して合格して喜んで、何が悪い?!
誰もいない所で、バレないように喜んどけってか?

全く納得いかんわ!!

あ。別にこの言葉を言い返した訳ではない。
腹で思って、グラグラ煮といた。

はたして、

不合格だった人は、
可哀想な人なのか?
不幸な人なのか?

自分より不幸な人には配慮しなさい
だから幸せそうにしてはいけません

ということか?

何度だって受けられる学科試験でさえ、
そんなに他人への配慮が求められるの?

これってそんなにあれなことなのか?



20年ぐらい前の出来事。
これがきっかけで気付いた大切なこと。

配慮の前に、まず自分。

自分の素直な気持ちを感じて表現する前に、
「今、それダメ!」
とダメ出しされたら、

感情の鮮度はどんどん落ちて、
その純度はどんどん低くなる。

そうすると、感情の味が不味くなる。冷める。

湧き上がった瞬間の
鮮度、純度ともに最高値の感情は
高エネルギーを発しているから、当然身体は反応する。

そんないきのいい感情を、身体の反応ごと
自分が味わわずしてどうするんだ。

自分しか味わえない喜怒哀楽の全部を、
高鮮度
高純度
で。

それをしたくてここにいるのだ。










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