マイ・ファニー・バレンタイン

 女ってバカばかり。家族や恋人、友達ならまだしも、そうでない人に手作りのチョコレートを渡そうだなんて。バカ。反吐が出そう。どうせ何か余計なものを入れたんでしょう。どうせ料理なんかロクにやったことなくて、フォンダンショコラは生焼けなんでしょう。どうせそうやって、お菓子作れるあたしカワイイしたいだけでしょう。バカばかり。手作りじゃあないならいいのかって?そんなわけがないでしょうが。目障りで邪魔なだけだ。だから……




 だからアタシは、その女どもごと全部処分したの。



 バレンタイン。それはネオサイタマの街でさえもチョコレート一色にした。どこの店でも色とりどりのチョコレートの箱が並ぶ。そして、女たちはそれに群がる。愚かだ、そんなことを思いながらも彼女はそのうちひとつを手に取りレジへ並ぶ。それなりに値の張るものだ。相当気合いの入ったものと見る。
(愚かなのはアタシもなんだけど)
購入したチョコレートの入った紙袋を一瞥し、自嘲ぎみに一瞬だけ固く目を瞑る。
(でも今日だけだし。今日一日だけなら、愚かになったっていいじゃん)
カッと目を開け、開き直る。そして……視界の端に映ったものを見なかったことにし速足で歩いた。
(あの赤黒いのってさあ、確かさあ、どう考えてもさあ)
思考が赤黒に染められていく。歩きながら頭を振り、それを振り払おうと努める。
(いやいやいやこんな街中にあんなのが堂々といるわけがないじゃない、白昼ですよ)
呼吸が荒くなっていく。気のせい、気のせいのはずだ。赤黒のニンジャなんていなかったいなかった。そう目の前にいるこいつみたいなニンジャなんていなかった。目の前?
「そんなに急いでどこへ行く?それほどにもジゴクが待ち遠しいか?」
「アイエエエ!?ホラー映画かよ!あ、アタシは逃げる!ジャアネ!!」
「逃がすと思うてか!」
ニンジャスレイヤーは、踵を返し走り出す女の行く手を先回りし塞ぐ。そしてオジギをし、アイサツを始めた。
「ドーモ。ニンジャスレイ」
「待って待って待って!!いいか、待ってくれよ、アイサツを止めたシツレイを百も承知で言わせて貰うぞ、動くなよ、ニンジャスレイヤー=サン……少しだけ、ほんの少しだけ猶予をちょうだい」
「………」
ニンジャスレイヤーは黙っている。黙って彼女へと歩みを進める。女は慌てて言葉を続ける。
「動くなっつったでしょうが!?噂通り全く人の話聞かないな!こいつが見える!?」
女はニンジャスレイヤーの眼前に、先程購入したチョコレートの紙袋を突き出した。相変わらずニンジャスレイヤーは無言である。畳み掛けるように女は続ける。
「これを渡してきたら必ず戻ってくる。3分……3分だ!必ず戻ってきてやる。ここからならすぐだろう、だから頼む!!アタシは逃げない、絶対にだ!」
「信じるとでも?」
「思ってないよ……ただ3分以内に戻ってこなければ追い掛けてアタシと……そこにいるニンジャを殺してもいい」
おお、ナムサン。時間ほしさに仲間を売り出す支離滅裂か?しかしどうやらそうではない。真剣そのものの女の目には狂気めいたものが見える。
「尤もそんなことには絶対にならない。絶対に。あの人には指一本触れさせないから。だから3分、アタシにくれ!」
「……行くがよい」
言葉と共に女は背中からサイバネ翼を生やし、音もなく飛び去った。カスミガセキ・ジグラットへ。

 スワッシュバックラーはなんとなく窓の外へ目をやった。そして、何かに気がついた。何かが……誰かが飛来してきている。
「あれは……」
それはすぐに窓越しまで来ると、軽くノックをし、彼に窓を開けるよう訴えた。彼はその通りにしてやった。
「窓からシツレイいたします、スワッシュバックラー様。少々宜しいでしょうか。お時間は取らせません」
「なかなかにドラマチックな登場だったじゃあないか、フクロウ=サン?私に用か?」
スワッシュバックラーは気取った言い回しで部下であるフクロウに語りかける。フクロウは一瞬逡巡する。本来ならばこんな予定はなかった。しかし買ってしまった。その上渡してすぐに戻るなどという馬鹿げた約束を取り付けてしまった。どうかしていた。だが時間がない。ええい、やってしまえフクロウ!
「スワッシュバックラー様、こちらをお受け取りください!」
突然のことに多少面食らった様子を見せるスワッシュバックラー。戸惑う彼にフクロウは半ば強引にそれを手渡した。それからすぐに窓から出ていこうとした。
「ああ、バレンタインだったか。ありがたくいただこう。私ともあろうものが、くれたのは君だけだ」
「……勿論です。そいつら全員、くたばりましたもの」
小さく呟くや否や、彼女は再び飛び去っていった。最後の呟きが彼に聞こえていたか否か、もはやフクロウには知るすべもないのが救いであろうか。

 フクロウは飛ぶ。弾丸の如く、ただ一直線。目標……ニンジャスレイヤーに向かって。羽音はない。静かに、速く。鉄製の鋭い鉤爪がニンジャスレイヤーの背を捉える、その瞬間!ニンジャスレイヤーは勢いよく振り返り回し蹴りを放った。フクロウはかろうじて両の手に装備した鉤爪で防いだ。
「グワ……ッ!なんでわかったんだよ!」
「音は消していたようだが、気配を消すことは覚えておらんようだな。ドーモ。ニンジャスレイヤーです」
ニンジャスレイヤーは今度こそアイサツをした。
「ドーモ、ニンジャスレイヤー=サン。フクロウです。畜生、何が気配だ!抜かしやがって!」
アイサツを終えたフクロウは鉤爪での連続攻撃を仕掛ける。速い。しかしニンジャスレイヤーのほうがより速い。攻撃はすべて避けられている。
「フクロウか。安直なネーミングだ」
「お、オメーが言えた義理かッ!!イヤーッ!」
フクロウは逆上しつつ、背中のサイバネ翼から翼の一枚を抜き取り、ニンジャスレイヤー目掛け放った。羽根のクナイである。
「梟とは狩りに長けた猛禽。しかし貴様はどうやら名前負けしていると見た。イヤーッ!」
ニンジャスレイヤーはクナイを人差し指と中指でキャッチし、続けざまに拳を叩きつけた。
「グワーッ!う、うるせえよ!アタシは元々暗殺担当っていうか偵察担当っていうか目とか耳なんかお前たちの3000倍はグワーッ!」
あまりにも易々とニンジャスレイヤーの攻撃が入る。簡単な話、フクロウは弱かった。それも理由のひとつだが、彼女には思惑があった。そう、これでいいのだ。
「人の話は聞かねえし強えし……なんなんだコイツ」
よろよろと立ち上がるフクロウ。ニンジャスレイヤー、当然ながら無傷であった。
「こういうの弱い者いじめっつうんだぞ、知ってる?」
「貴様が罪なき女性たちにしたことも同様な」
フクロウはばつの悪い顔をした。そしてちぇっと舌打ちをする。
「知ってたのか。どっから耳に入んのやら」
「知らぬとでも思っていたか。なんたる傲慢……イヤーッ!」
ニンジャスレイヤーはフクロウのサイバネ翼を引きちぎる。
「グワーッ!」
深手。思惑通りの深手。フクロウはそろそろ死ぬだろうなとのんきに考えた。元より生き延びるつもりなど更々なかった。渡したらそのまま消え去ってしまうのが一番だと結論づけた。あの人から拒絶されるくらいならそうとわかる前に死んだほうがいい。ならはじめから渡すべきでも、慕情を抱くべきでもなかったのではないか?違いない。ただ、行き場のなかった情念が少しは軽くなったように思える。
「あのさあニンジャスレイヤー=サンよう、オメー誰かからチョコとか貰った……?それともこれからか?」
「……くれる者などとうにいない。ハイクを詠め」
「済まん済まん。……そうだなあ……ハッピー/バレンタイン/ニンジャスレイヤー=サン」
それを聞き終えると、ニンジャスレイヤーはチョップでフクロウの首を刎ねた。
「サヨナラ!」
フクロウは爆発四散した。遠くバレンタインソングが聞こえていた。


 「あーあ」
その様を眺めていた者はわざとらしく感嘆の声をあげた。チョコレートを齧りながら。
「アレ相手に真正面からとは。いやはや、蛮勇とでも言おうか身の程知らずとでも言おうか」
彼はビルの屋上に脚を組み座っている。そして、唄うように独り言を繰り返す。
「ああ、でも……」
最後の一欠片を口へ放り込み、スワッシュバックラーは言葉を探した。所在なく片脚を揺らす。彼は何かを言ったがそれは風に消えた。それからしばし何をするでもなく、ただ眼下を見ていた。未だ浮き足立った街を。ただ見ていた。

おわり。

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