見出し画像

vol.2 生きてる?生きてる。

どうもみなさん、1週間いかがおすごしでしたか。


たくさんの規制があるなか、怠惰でも勤勉でも無でも夢でも、7日間も生きてそれを繰り返していくことはスゲーことです。


いつか、みなさんの"日々"を知りたいなと思いつつ、僭越ながら、わたしの7日間をご紹介します。


よろしくです。
(筆者はシェアハウスで管理人をしています。そのため登場人物が複数です。彼女と呼んでいる方はいわゆるパートナーではないことを注記いたします。)



月曜日

都市と田舎、贈与と交換、ボランタリーネットワーク、愛の搾取。

どこまでがボランティアでどこからをビジネスとしたらいいのかという議論たち。

さみしい。

夜。ハフポストからLINE。

「ゆくえふめいしゃのそうさくにさんかしたトルコのだんせい、さがされているのはじぶんだときづく」

イイ。

「私ならここにいます」

”イイ”な。




火曜日

栗を食べる。
このまえ友人宅から連れ帰った栗たちを、彼女が渋皮煮にしてくれた。
何回も煮ているのに渋いのよ~と嘆いていたけど、渋皮煮というのだから渋いんだとおもうよ。
おいしい。「ほくほくしてるね、ほっこりする」と彼女は言った。
ほくほく、ほっこり。
秋の食べ物は大抵、“ほくほく、ほっこり”する。どうしてほくほくなんだろう。ほくほくするからほっこりするのだろうか。ほっこりは気持ちだろうか。ほくほくは食感だろうか、温度だろうか、その両方だろうか。ほくほくってなんだ。こんなにも個人主義で他者はどこまでいってもわからないという言説の空気が流れている現代で、少なくとも、ほっこりとほくほくは共有できる感覚だということに尊さを感じる。これだから秋は。

haruさんの『生きてる?』をめくる。

画像1



水曜日

観光で来日していたけどコロナで仕事場(中国)に戻れなくなっているモーリタニア人の方と仲良くなった。
ただの観光だったはずが1年半も滞在するなんて思わなかったと、断片的な日本語をなんとかつなげて話してくれた。

「にほんご、いちねんはん、いたから、ちょっと、はなせる、勉強、なった」

23年間日本人をやっているわたし
「そっか。わたしことしから、えっと、大学生。地元、あ、えっと、海、から生まれた。」

「ああ~」うなずいてくれる。
ちがう。“から”じゃない。“のちかくで”だ。

言葉ってすごい。文字面だけみたら、完全に今春から陸の大学に通っているマーメイドだ。
時をかける少女の学生生活よりキラキラな学生感ある。というか、もはや人間にはなせない物理的なうろこ的なキラキラさがある。しかもそれを「ああ~」で肯定する人がいることで、わたしのなかで1つ夢が叶ってしまった。
まさかここで人魚になれるとは。

会話は詩と詩のやりとりであってほしい。
河野裕明さんの久里浜『アルコール病棟』より―臨床30年の知恵を読み返す。



木曜日

同居人のオニイサンが今月から在宅ワークをはじめた。

バリバリのキャリキャリな会話をしている隣で、なにもしないをしているわたし。
なにもしないをするのにも労力がいるとはじめて知った。

メリハリ、というものをつけたいと友人に相談しようとして、「メリハリのメリ?のほうを確立したいんだけど―…まって、ハリかも。」「いやメリじゃない?」

『検索: メリハリ めり』


メリハリは「メリカリ」が転じた言葉である。


某フリマサービスを思い浮かべてしまったひと、同志です。

でこぼこ、ぴんきり、めりはりあたりは、案外みんな適当に判断しているんじゃないかなと推測してみる。
少なくとも、なにもしないをしているわたしをみて「君ってキリのほうだね」と言うひとがいたら、わたしは「ピンよりキリのほうが音的に闇の中二っぽくていいな」と思う。

永井玲衣さんの『水中の哲学者たち』を読む。

「じつぞんしゅぎ、だいしゅき」とストーリーにのせる。



金曜日

昨日に引き続き、メリハリを考えていた。

そして仕事、休み、勉強の開始時間がそれぞれちがう赤の他人4人が暮らす我が家では、「おはよう」と「おやすみ」は睡眠をあらわすものではないと気づいた。
おふとんへの入出合図だ。

画像2




土曜日

「きょう、夕飯食べてくるー」

と、グループLINEにおくるかどうか迷う。仲が悪いわけじゃない。むしろいい。

いや、わからない。他者はいつだってわからない。

でも、一緒に壁つくったし、鍋も食べたし、仲はいいとおもう。そう”わたしが思っている”ことは事実だけどみんなはわからないから、いま迷うのかもしれない。時間が経てばわかるということでもない。もはや、時間が経てば経つほどわからなくなることもある。まえ、過去のあなたと現在のあなたは同じ人間かという問いに、はじめましてと挨拶をした。とても緊張した。

つづけて「そもそも他者は存在しているのか?」「いまみている現実は誰かの夢じゃないのか?」「生きるってなに?」「盲目的な生への欲求ってどうして存在するの?」とも挨拶をした。もちろん、腹が痛くなった。実はこんなこと考えて腹が痛くなっちゃうちっぽけな存在なんだということを、だれかに抱き着きながら耳元で泣き叫びたくなる。

「じつぞんしゅぎ、だいしゅき」自分のストーリーを見返す。

夕飯を外でたべてくるというやりとりがなされる場所で暮らしていたいという欲求がふつふつと湧き上がる。

送信ボタンを押した。

「はいよー!」の返信、グッドのリアクションがきた。

生きている。

pay money to my painの『dilemma』を聴く。

画像3




日曜日

友人の友人が新潟で展示会を開くというので行こうと決めた。きのう。
いまは16:00。新潟まで休憩しながら4時間くらい。21時が終了とのことなので、余裕はあるんじゃないかと思う。
準備をしよう。

つい2、3日前、同居しているオニイサンが、何時間か家を空けて帰ってきたと思ったら、ドタバタと一直線に部屋に駆け入りパリッとした服に着替え、これまたドタバタとお湯を沸かし始めた。
と、おもったら、「いや、こんなことしてる暇ねえ」とつぶやいて火を消した。「どうしたの」と聞くと、電車に間に合うかわからないとのこと。無印のレトルトカレーを食べようとしていたらしい。
しょうがない、あたためてやるか。
オニイサンが炊飯器を開ける。「マジか」
「あっごめーん。まだ炊いてないのよ~」気が抜ける声で彼女がいう。
”マジか”か。たしかに。オニイサンの表情をみて同情する。ちょっと心配そうにのぞきこむ彼女に罪はない、もちろん余裕でゆっくり水に浸っているウルウルの米にも。

躊躇なく早炊きボタンを押すオニイサン。わるいな、ウルウルの米。ゆっくりしてたとこほんとすまん、なんかあとで埋めるワ。

結局、オニイサンはカレーにありつけたわけだけども、発車時刻をきくと、40分後とのことだった。
オニイサンがドタバタと出ていく。
彼女とわたしの2人は数秒の沈黙のあと、ゆっくりと口を開いた。
「余裕じゃね?」

準備ができた。16:40。
「マジか」お風呂に入って洗濯して部屋を片付けて。おもったよりかかった。まあでもいける。

車に乗る。到着予想時刻20:30の表示。

行ケル。だいじょうぶ。ゆっくり発進する。安全第一。

結果だいじょうぶだった。20:00に新潟についた。休憩と夕飯はなかったし大量の虫がフロントでつぶれているけど。

教習所のときの適性検査を思い出す。Eの1。

8月のオンライン授業を思い出す。ベッド化したデスク。むくりとカチャカチャのおうふく。

とりあえずコンビニで夕飯を済ませて、展示をみて、noteの執筆をしないと。

車中泊をするからだいじょうぶーと彼女に伝えたら、すこしおこられたので、宿泊できる場所を探すことにした。このまま車中泊したらなんだか申し訳ない。かたっぱしから電話をかけて、1件「どうぞ」と言ってくれたゲストハウスへむかう。21:30。

本棚には漫画がぎっしりとつまっていた。

イケル。だいじょうぶ。…だろうけど、やっぱりきょうはもこもこくつしたを履いてもう寝ることにした。

画像4




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?