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私たちはなぜ、この世界に生まれてきたのか? ③

アチャン・チャー

 私たちの身体のうち、筋肉や皮膚、骨など硬さを持ったものは、「地の要素」と言います。血液など、液体状のものは、「水の要素」です。そして、身体を温める熱は「火の要素」になります。最後に、私たちの身体の中で、様々なものを循環させる力を「風の要素」と呼びます。
 
 ワット・パー・ポンには、男性でも女性でもない身体があります。それは、本堂に安置されている骸骨のことです。その骸骨を見ても、男性であるとか、女性であるという感じはしません。誰かに、
「この骸骨は男性ですか? それとも女性ですか?」
と尋ねられても、答えられる人はこのお寺にはいないでしょう。骸骨には筋肉も皮膚もありませんから、性別を判断することはできないのです。
 
 近所の村人たちは、ワット・パー・ポンに骸骨があることを知りません。彼らはワット・パー・ポンにやって来て、骸骨を見ると驚きます。一目散に逃げだす人もいるくらいです。彼らは、骸骨を正視できません。骸骨が怖いのですね。骸骨を怖がるような人々は、自分のことを真面目に観察したことがないのだと思います。骨があることのありがたみを、感じたことがないのです。このお寺に来るには、車に乗って来るか、歩いてくるしかありません。もし、自分の身体に骨がなかったとしたら、彼らはどうやってここにたどり着くことが出来るのでしょうか? それにもかかわらず、彼らはこのワット・パー・ポンにやって来て、本堂に入って骸骨を見るや、一目散に逃げ去っていくのです! 彼らは、生まれてこの方、人間の骸骨など見たことがないのですね。自分自身もこれまでずっと骸骨と共に生きてきたのに、そのことを意識したことがないのです。ですから、彼らにとって、今、骸骨を見ることができたのは、とても幸運なことなのです。それなのに、お年寄りでさえ、骸骨を見て怖がるのですから……。何が怖いのでしょうね? これは、彼らが自分自身とまったく向き合っていないこと、自分自身のことを本当に理解していないことを示しています。家に帰っても3、4日は骸骨が怖くて、ぐっすりと眠れないかもしれません。ですが、そうして寝ている彼らの身体の中にも、骸骨は存在するのです! 骸骨と共に服を着て、骸骨と一緒にご飯を食べて、一日中骸骨と一緒です。それにもかかわらず、彼らは骸骨を恐れているのです。

アチャン・チャー『Living Dhamma』より
 
"Living Dhamma", by Venerable Ajahn Chah, translated from the Thai by The Sangha, Wat Pah Nanachat. Access to Insight (BCBS Edition), 30 November 2013, http://www.accesstoinsight.org/lib/thai/chah/living.html .
 

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