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私たちはなぜ、この世界に生まれてきたのか? ④

アチャン・チャー

 この話から、世間の人々が、いかに自分というものを理解していないかが分かります。何と哀れなことでしょう! 彼らは自分自身を見つめず、いつも外ばかり見ています。森の木や他人の姿を見て、「これは大きい」「あれは小さい」「これは長い」「あれは短い」などと語り合っています。彼らは自分の外部にあるものを見るのに夢中で、自分自身を観察しません。率直に言って、世間の人々というのは、本当に哀れな存在です。彼らには、自分の拠り所(帰依所)とするものが無いのです。
 
 出家式のとき、出家をする人は5つの基本的な瞑想の対象を学ばなくてはなりません。その5つとは、頭髪( kesā )、体毛( lomā )、爪( nakhā )、歯( dantā )、皮膚( taco )からなります。出家をしに来た大学生や、高学歴の人々の中には、この5つが瞑想の対象であると聞いて、鼻で笑う人もいます。
「この僧侶は何を言っているんだ? 自分の髪のことなんて、とっくに知っている。自分の髪の毛について、これ以上教わることなど、何もない」
放逸な人々というのは、このように、自分の髪のことを理解していると勘違いしています。そこで私は彼らに、「自分の髪の毛を観察する」というのは、髪の毛のありのままの姿を観察することを意味するのだと、再度説明をします。自分の頭髪、体毛、爪、歯、皮膚のありのままの姿を観察してみてください。物事のありのままの姿を観察するというのは、表面的にではなく、真理に基づいて観察をするということです。物事をありのままに観ることができるようになれば、それらに対して執着をすることがなくなります。自分の頭髪、体毛、爪、歯、皮膚を、よく観察してみてください。本当にきれいですか? 実体のあるものですか? 安定して、変化しないものですか? 違いますよね。本当はきれいではないけれど、私たちがそう妄想しているだけなのです。私たちの身体は変化し続けており、実体は無いのが事実なのに、それを認めたくないのです。

アチャン・チャー『Living Dhamma』より
 
"Living Dhamma", by Venerable Ajahn Chah, translated from the Thai by The Sangha, Wat Pah Nanachat. Access to Insight (BCBS Edition), 30 November 2013, http://www.accesstoinsight.org/lib/thai/chah/living.html .
 

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