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「自分より相手を優先することは尊いことだ。」

「自己犠牲を顧みずに他人の利益を考え行動できる人は素晴らしい人だ。」

そのように、
まるで神様のような"利他的な性質"を持つ人
になれたらいいな〜。

とは思うものの、絵空事のように思われる利他性。

「利他」とは、
自分のことは後回しにして、相手のために、相手を優先する心掛けのことです。

例えば、
自分のことよりも他の人のために尽くすことは
自分に余裕がある時は多くの人が利他的になれるかもしれませんね。

・お腹がいっぱいの時に食べ物を分けることができる。
・お給料日にコンビニのお釣りを募金する。


対して、余裕のない時はどうでしょう?


・自分が疲れ果てている時にお年寄りに席を譲れるか?
・イライラしている時に他の人に優しくできるか?


自分が肉体面や感情面で
"問題を抱えている"と思う時、
それでも利他的に行動できる人とできない人の違いはなんでしょうか?



利他的な人間である条件のいくつかの要素に
・平静
・無欲

などがありますが、
波立っている心を無理やり平静にしようと努めたり、
欲でいっぱいの心を無欲にしようと努めたりすることは
余計に心の抑圧が進んでイライラや罪悪感の元になるのでおすすめできません。


波立っている心や
欲でいっぱいの心は
すでに結果として現れているものなので、
それを無かったことにすることはできません。


ヨーガではその心を作り出すことになった"原因"に着目し、
精神論ではなく理論を用いて科学的に解決していきます。


なぜ心が静まらないのか?
欲でいっぱいなのか?

それは起きた出来事に反射的に"反応"してしまっているからです。


反応とは自分の過去の記憶を元に反射的に感情を抱いたり、思考が働いてしまうことをいいます。

私たちの日常には
・相手の言動や行動
・自分の肉体や感情の変化
にそのまま飲み込まれてしまうことがよくあります。


目や耳など五感で受け取ったその刺激を
脳(マインド)で情報化する際に、
いつもの自分の記憶がやってきます。


過去にあった自分が
"良いと判断したもの"
"悪いと判断したもの"

この過去の自分価値観によって
現在の自分の反応が反射的に支配されてしまっている状況です。


起きた出来事、自分の体や心の状態に
反射的に反応するのではなく、
冷静な心を保ち続ける方法はなんでしょうか?


それは、
物事を俯瞰して物事の本質を識別することです。

なにかに直面した時、
相変わらず過去の記憶は上がってきます。

でも俯瞰ができている間は、
それが過去の記憶から上がっていることに気づいています。


最初の段階は、
過去の記憶だと気付いていながら
冷静に行動できないこともあるでしょう。

しかし、
それを何度も何度も繰り返していると
やがて
自分の個人的な主観ではなく
冷静に、視点が高い位置から物事を識別することができます。

山の下から見ている景色より、
山の上から見る景色の方が
より多くの、より正確な情報を得ることができます。


そうして、
身の回りで起きる出来事や
自分の身体や感情にまつわることに
左右されない自分が俯瞰の筋力が付いてくると、
自ずと平静さや無欲さが身に付いてくると言われています。


・平静
・無欲
といった性質は
"識別力"の下地があってこそ育ちます。


ファーストステップである
俯瞰力、識別力もないうちに
平静であろう、無力であろうとしても無理があります。

料理も材料がないと完成しないように、
段階をきちんと踏んで進めることが
実は1番の近道になります。


私もまだまだ利他的とは到底言えないような人間ですし、
まだ理論的に学んだ段階なので、
これから日常生活を通して実験してみようと思います。


まず理論を知的に学んで、
その後日常生活で実践して、
体感して腑に落ちた時、
情報が知恵に変容します。


この記事を読んで、
自分の反応について知的に理解し、
実践してみようと思われた方は
是非明日からの日常生活で実験してみてください。


今起きている結果に対していくら努力しても、
原因の部分が変えられていないので、
同じことを繰り返すか抑圧が強くなって事態は悪化します。


至らない自分や利己的な自分を責めるより、
自分の行動や心を無理やり根性論で捻じ曲げようとするより、
理論を用いて科学的にアプローチしていけば自ずと結果が得られます。

それが科学の良いところですね。

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