洞窟ってワクワクするけど

男の浪漫、という言葉でくくるのは安直かもしれませんが、子供の時からワクワクする言葉はあまり変わりません。

宇宙、ロボット、タイムマシン、冒険、数学、とか。

ワクワクする事柄はたくさんあるんですが、その中の一つに
「洞窟」
があります。

洞窟。
ワクワクしません?

たまに帰ってる時に、「ここのコンビニの裏に洞窟あったら完璧やのになー」とか思うことがあります。
行き帰りの道に洞窟あったら、きっと少し楽しい。

入らなくていいんです。
洞窟に対して、この中に入ったら何が待ってるんだろう、と想いを馳せるだけで楽しいんです。

嫌な事があった時は、
「もう、今日はこの洞窟で夜を明かそうかな、、、」
と憂い、

楽しい事があった時は、
「この勢いで、ついに入っちゃいますかー!!」
と盛り上がれます。

このように洞窟は、辛い時はその憂鬱を飲み込んでくれて、楽しい時はワクワクを吐き出してくれます。

よく言う、
「友達は、喜びを二倍にしてくれ、悲しみを半分にしてくれる」
みたいな言葉と似ていますね。

だから、友達がいなくても、洞窟があればいいのかもしれません。
友達が欲しい、と思ってしまうのは近くに洞窟がないからなのかもしれません。

友達=洞窟。

試しに、友達を洞窟に置き換えてみましょう。

「一年生になったら、一年生になったら、
洞窟100個できるかな。」

…1年で何があったん?

もし実際に、一年後に近所に洞窟が100個増えたらどうなんでしょうか。

一気に100個増えたのか、ちょっとずつ増えて最終的に100個になったかで印象は変わりそうです。

ちょっとずつ増える分には、70越えたあたりから慣れそうなので問題ないですが、

朝起きて、突然洞窟100個増えてたら流石に戸惑うでしょうね。

全然景色がかわってるから、普通に迷いそうです。

いつも行きでパン買ってるコンビニがあったとこが洞窟に変わってたりして。

コンビニが洞窟に変わったのか、もしかしたら、洞窟の中にパン売ってるかもしれません。
どうしようと思って洞窟の前で立ち尽くしてたら、奥の方からコンビニ袋もったサラリーマンが歩いてきたりして、
「中に売ってるんや!」
って喜んだりしそうです。

耳をすませたら、奥の方から入店音が洞窟に反響して聞こえてくるかもしれません。

そうなったら店あるの確定なんで、勇気を出して行くっきゃないです。

ただ、どのくらい奥にあるのかは考えないと行けないかもしれません。

めちゃくちゃ奥に店があったら、一駅分歩く羽目になります。
そうなるとこう考えますよね。

「いけるとこまで自転車で行こうかなぁ。」

歩くのもしんどいですし、洞窟の前に自転車停めてて、盗まれたり撤去されたりしたら最悪です。

ただ、洞窟内がどんな地形をしているかわからないので、自転車で行けるかどうかわかりません。
でも、パンが欲しい、、、。
洞窟の前で立ち尽くしてしまいます。

そう考えてる時に、今度は奥の方から自転車に乗ったおばちゃんが登場してきたらめっちゃ嬉しいですよね。

「自転車で行けるんや!」

おばちゃんの自転車のライトが希望の光に見えてしょうがなくなります。

それで、よし自転車で行こう、と自転車にまたがった時に、奥から自転車を満載にした自転車撤去のトラックが出てきたら、急に怖くなりますね。

「洞窟内撤去あるんや」

そうなったら、洞窟の最寄の駐輪場に自転車を停めて、歩いて中に行くしかありません。

それで、洞窟の奥にあるであろうコンビニを目指して、10分ほど歩いてたら、奥の方から、数台のバイクの明らかに改造したマフラー音が聞こえてきて、

「洞窟の奥でたむろってるやつらおるやん」

て、絶望したり。

そんなこと考えてたら、やっぱりいきなり洞窟100個もいらないですね。
心配ごとが多すぎます。

あと、増えた洞窟は、なんやかんで、ほとんど駐車場になりそうやな、とも思います。

浪漫のかけらもない。

だからやっぱり洞窟は一個でいいです。

今日の帰りに洞窟増えてないかな。入らないけど。

てか洞窟の数え方、「個」でいいんでしょうか。

#エッセイ #随筆 #コラム #洞窟

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