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日々の日記Vol.48 2024年2月5日~2月11日(一週間分まとめてアップ)


2/5

首都圏は今年一番の冷え込みだろう。
早朝ラジオでは昼過ぎから明日午前にかけて関東全域で積雪との予報するも、昼少し前に外へ出ると雲行き怪しい。

所用で向かった目白台では道に車が乏しかった。

バス移動中にイヤホンで聞いた交通情報によると、各地高速道路で積雪による交通規制がなされ、一般道でも渋滞が発生していた。

寒いから早く帰って寝よう。

2/6

未来のために貯蓄を残すという発想がピンとこない。

しかし老後に年老いたら食が細くなる。その時に備えて、小分けメニューで売り出される環境を作ったら老後も食の楽しみが増えるだろうと想像できる。

わたしの父親と祖母は麺類が好きだった。
父はたらこスパゲッティが好きだったが晩年、お皿で出したら三分の一食べるのが精一杯だった。

一口カツがあるなら、一口パスタなんて老後のわたしには充分需要あるだろう。

今現在女性、子供、高齢者などが食い切れない分量で販売されるメニューが沢山ある。

貯蓄に勤しむよりはより高齢化社会になる未来に備えて、今のうちから小分けメニューと提案、創造するのも老後の報酬になり得ると考える。

ついては二郎ラーメンの高齢者サイズなどいかがだろう?

トリスバーで昭和期に現役サラリーマンだった世代が昔を懐かしみながら味わっていたりする。

ならば、数十年後にカップケーキサイズの二郎ラーメンを食べながらジャンクな味を懐かしむのも乙なものではないか。

仕方ないとはいえ介護施設、ヘルパーさんにお願いすると健康を案じて作ってくれるのでジャンクフードは難しい。

わたしは歳をとっても映画見ながらピザをビールで流し込む余暇を送りたい。

老後に現在ドミノピザで購入できるサイズは難しいだろう。

落としどころはパン屋で売ってるような一切れのピザにノンアルコールビールだろうか。

そのピザも費用対効果が悪いけれど、一切れサイズを焼きたてを宅配してくれないだろうか。

通常の倍の値段で三切れから宅配ならわたしのように70代、80代過ぎても映画見ながらフレンチポテトやピザをビールで流し込みたい人は勿体ぶらずに対価を支払うだろう。

まずは猫缶とちゅーるに対価を支払う。

2/7

YouTubeでテレフォン人生相談を視聴。

聞いていて相談者の創作?と思う相談もあった。

なので架空のテレフォン相談内容を創作してみる。

「背中触ると引っかいてきます、可愛くて困っちゃいます」

「リュックサックに座ると離れません、ヤンチャなところも可愛いくてどうしましょう」

どの回答者もうんうん頷くだけで終わりそう。

さて、猫たちから空腹のお悩みがきたので解決に向かう。

2/8

品川にある鮫洲運転免許試験場にて、原付免許の試験を受けてきた。

マークシートに鉛筆で塗り潰すと思っていたが、タブレット端末に出た設問を見て◯か×かを指でタップする形式となっており、諸手続費用はクレジットカードやSuica、PayPayなどの電子決済も可能となっていた。

受験4人全員合格。そのあと防弾チョッキみたいなプロテクターとヘルメット、それにコロナ禍以降使い捨てとなった軍手を受け取り実地講習を受けた。

鮫洲の実地講習で使用された原付は出川さんが出演する番組で使用されるのと同型の電動原付であった。

わたしの勝手なイメージでは、昔から宅配で見かけるガソリンエンジンの原付で講習を受けるものだと思い込んでいた。

ここにも時代の変化が見て取れる。
わたしは生活必需品として電動アシストつき自転車に乗っているためか基本的な操作はすぐ慣れた。

ただ、普段は時速12〜15キロ以下のスピードで路側帯または歩道をノロノロ走っているから、少しスピード出すと驚いてしまうから今後は友人知人の協力や公的機関の練習場などで慣らす必要を感じる。

課題はあるものの、合格して免許を得たのは嬉しい。

ささやかであるが鮫洲の試験場2階にある食堂でトンカツ定食をいただいた。

帰りにまた腹時計が鳴ったので新宿駅地下にあるカレー屋でチキンカツカレーも頂いた。

太る事は目に見えてわかる。
これは「ハレとケ」でいうなら非日常のお祭りなので、以降は健康管理アプリに沿ってカロリー、栄養素、運動量を管理する日常に戻れば体重も戻ると確信している。

猫たちにもお祝いにマグロスティックでもあげようか。

2/9

10代前半の幼児的万能感からネットスラングでは「厨二病」と呼ばれる痛い妄想が世に存在する。

わたしは心が永遠の15歳だと自認しており、いまだ厨二病的妄想をする。

その妄想はその都度、フィクションや創作として披露する事にしている。

…などと書いているうちに忘れた。

思い出したらそのとき披露したい。

2/10

「こどおじ」という言葉がある。中高年になっても子供部屋に住み続ける男性を「子供部屋おじさん」略して「こどおじ」と呼ばれている。

知人と会話中この固有名詞が出てきて、今現在病床の親の介護を行い、実家の子供部屋に住む彼も杓子定規では「こどおじ」に入るのでは?と問いかけてきた。

わたしは咄嗟のことでうまく自分の思いを言語化できなかったが、彼は「こどおじ」ではないと、ことさら強調して述べるまでだった。


さて、地域猫おじさんなわたしは猫缶用意して餌やりしなければ。

2/11

当時のわたしは幼少期から周りをうかがっては怯え、周囲を憎み、心の中で恨み言を呟いていた。

周囲の人々に対して内心「いつも自分だけが辛い思いを…」と自己憐憫しては世界中の全人類を嫌い「クソッタレ野郎!」と心に中で呟いていた。

昔は周りをうかがい外面を取り繕うため、心にも思っていない美辞麗句を憎悪抱く相手にも述べていた。

いまは世間体や外面など何の意味もないと実感するようになり、自分へ忠実に生きようと心がけている。

それと同時に自分自身も「クソッタレ野郎!」なところがあるから憎んだ相手にも「お互い様」とおもえるようになった。

昔は憎悪の対象が不幸になる事を望み願った。

その対象が激甚災害で焼け出されたら「クソッタレ野郎!」と怒鳴りつけ、足蹴にしただろう。

今も相手を嫌い憎む感情に変わりない。
前と違って、良い子のふりしてその感情を押し殺すこともない。

だから、不快な相手とは連絡を絶って遠ざけている。
こうすることによってそれ以上憎むことはなくない。

もし、現時点で激甚災害により、憎悪の対象が焼け出されたら、なるべく新しい未開封の米袋と生活用品を差し出しながら心の中で、

「米を食えクソッタレ野郎!滋養つけろクソッタレ野郎!へこたれるなクソッタレ野郎!」

と叫ぶことだろう。
実際に声に出すときは相手が弱っているのだから物腰柔らかく「頑張って」とだけ述べるに留めるだろう。

良い子ぶるつもりもなければ、理解や改心を示すつもりもない。酸いも甘いもお互い様なのだから。





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